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2010. 07. 23

やっぱりわからない「心の性」

今日は他大学のジェンダー論入門の2週目。

性同一性障害の方による講演会でした。

といっても

以前ワークショップを受けたときと同じ方もいらっしゃったので

話の内容が重なることも多かったです。

なので「学校教育と性的少数者」での性の4つの指標を

今回も使いながらの講演となりました。

やっぱりね

どうしても「心の性」だけは全くわからない。

「“心の性”って何ですか?って聞かれることがあります」

と講演していた方もおっしゃっていましたが

その質問に対しては服に例えて説明していました。

服がフィットしているかしていないか。

フィットしている人は服を意識することはないけど

フィットしていない人は服を意識する。

つまりフィットしているから心の性がわからないのではと。

うーん・・・うちの場合どうなんだろう。

うちが心の性を指標にできないのは

例えば

「内向的」と「外向的」を直線の両端にしたときには

このへんですって線上に印をつけれるけど

「性格」そのものには指標がないのと同じような感じ。

つまり次元が違うってこと。

心の性は

他3つの指標を総合して考えられるもので

それ単体では指標にならない

そんなふうにうちは思います。

心の性はね

あるかもないかもわからないような

そんなもんでもいいんです。

自分っていうものがね

わかんないように。



でもね

指標があるからこそ気付けることなので

そういうふうに性を解体して考えていくのに

この性の4つの指標ってのはいいきっかけになります。

いかにあいまいさの中に生きているかがわかります。

その中に無数の線を引いているにすぎなくて

誰もがあいまいな中に生きている。

この世の中

あいまいなものだらけです。

わからないことだらけです。


2010. 07. 16

他大学のセクシュアリティの授業

今日は他大学のジェンダー論入門の授業に潜り込みました。

そのために

本大学の授業を自主休講したことは目を瞑ってください(笑)

性と生を考える会』でお誘いして頂いた授業です。

今週から3週に渡って受講します。

特にセクシュアルマイノリティーについての講義です。

さて

今までセクシュアリティに関しては

本を自分で探しては読むばかりでほぼ独学のみ。

ジェンダーの授業は受けていますが

セクシュアリティの授業は初めて受けたことになります。

とても新鮮でした。

誰かに教えていただくというだけでなく

多数の様々な人がいる中で学ぶという点においても。

だから

他の学生の反応や言葉にも意識が向きましたね。

講義の中で

「ボーイッシュな女性」とか「髪の短い女性」とか

そういうキーワードが出てきたときは

「あーうちですうち。ここいまーす。」

って感じでした(笑)

そうそう

この大学ちなみに女子大です。

だから多少目に留まる存在だったかもしれない。

この講義を受けてる人にね

「あそこにいる人ちゃうんか!?」

って思われてもいいんです。

「あそこにいる人レズビアンちゃうんか!?」

って思われてもいいんです。

むしろ身近に感じてくれたなら光栄です。

ただもしそう思ってた人がいるなら一声かけてくれたら

さらに嬉しいんだけど。

自分でも気づかない内に

すんごいオープンな自分になってることに気づきました。

胸張って歩いてるよ。

笑顔で話し合えるよ。

そんな自分になれてるよ。

この感じ

いいね。

そういえば

今日の講義を受けて気づいたことが他にもあります。

うちが吸収すべきことがありました。

それが説明するときに使う言葉。

授業で使えるようなそんな表現。

『「バイセクシャル」って何ですか?』

『「相手を選ぶときに性別によって規定されない人」です。』

『「ニューハーフ」って何ですか?』

『「職業名」です。』

ってな感じでわかりやすくて

しかも誰も踏んだりしなような適切な答え方ができるよう

少しでも今回の講義から学んでいけたらと思います。

ちなみに来週は講演会。

再来週は同性愛についてです。

色んなものを吸収してこよっと。


2010. 07. 07

モヤモヤ解消の兆し?

先週と今週のジェンダー論では主婦論争を扱いました。

「妻無用論」と「母と言う名の切り札」を

二週にわたって読みました。

先週書かなかったのは

妻とか母とか

そういうものにうちが関心がなかったからです。

家庭というものの中での女性が

うちにはぴんとこなくって

どうも身近な問題として考えられません。

家族の在り方っていうのも

これまたぴんときません。

子としての自分までしか考えられません。

個としての自分しか考えられません。

だから結婚とか家族とか

そういうものには鈍感なのかもしれません。

「結婚」とか「家族」ってなんなんだろうね。

愛する人ができたら

そのときに真剣に考えるとしよう。

さて

関心のないことを無理して書くつもりはないので

ジェンダー論の授業内のことを今日は書きます。

今日は部屋に入ったときにはすでにもう一人の受講生さんがいて

教授と何やらお話をされていました。

途中からだったから詳細はわかりませんが

なんともタイミングがいいことに

「やる気」についての話が出てきました。

教授曰く

「勉強しなきゃいけないときはとにかく本を開きなさい」

とのこと。

やる気が起こるのを待つのではなく

とにかく行動すると脳はそれに対してやる気になるんだそうです。

詳しくは『海馬ー脳は疲れない』という本にのってるんだとか。

読んでおいて損はないという感じに一読を勧められたので

近々読もうと思います。

さてさて

もううちの発想とは全く異なることをおっしゃってたわけですが

おそらくそれは

「起こす」と「起きる」の違いなのかなって思います。

やる気を能動的に「起こす」なら動機付けから。

やる気が自然発生的に「起きる」のは行動から。

両方コントロールできたら無限にエネルギー生産できそうだ(笑)

その話を聞いただけで少しモヤモヤが晴れたんだけど

その上「学問」についての話もまたしてくれて。

それでさらに少し晴れた気がします。

学問に対する不信感がどうなったかはわかんないけど

この教授に対してはうちは信用しているので。

改めて学問について気づいたのは

結局どんな研究も誰かの疑問から生まれたんじゃないかってこと。

その人が持ってる内はただの疑問。

個人的な疑問。

それが研究され考察されて

いつしか普遍化されたり定義されてきたんじゃないかな。

学問として勉強していること

それも根っこをみつめてみれば

無数の疑問が形を成しているだけなのかもしれない。

これに気づいたことでなんで晴れてきたのかはわからないけど

とにかく

「疑問は持ち続けなさい」

という教授の言葉が再びうちの心に響きます。

そんなかっこいいこと言ってみたいね。

でもうちならこういうメッセージを送るかな。

自分を信じなさい。

信じていい自分なら。


2010. 06. 23

教授、聞いてください

今日のジェンダー論は「セクシュアリティとジェンダー」。

同性愛とかトランスとか性的指向とか人権とか

そんな感じの内容でした。

同性愛がどのように思われているのかを知る

良い機会でもありました。

ちなみに教授には自分が同性愛者であることを以前話しましたが

その際にもう一人の受講者の方は不在だったので

今日教授のフリに乗っかって「本人なんです。」とゴーイングアウト。

それについては『6月23日(水) 「ジェンダー論」の受講者へ』で。

そうして始まったジェンダー論の授業。

でも今日のメインはそれが終わってから。

「そういえば女性学会行ってきましたよ。」

と話を切り出し

バックラッシュについてのやりとりについて話しました。

あくまでうちの視点や見解で話したのですが

「あなたの話を聞いてて思ったんだけど

その人たちはそういう“まなざし”がないんじゃない!?」

とひらめいたように話してくれました。

「嫌な思いしたでしょうね。」

という言葉に素直に

「はい(笑)」

と答える自分。

「でも

“嫌な思いをしてまでやりたいか”ってことなのよ。」

「それが嫌ならしなければいい」

という真っ直ぐな教授の言葉。

その言葉を自分のお土産にして

「『恥をかいてらっしゃい』と言ってくれたから

思い切って発言することができました。

ありがとうございました。」

と言って部屋を出ました。

“嫌な思いをしてまでやりたいか”か・・・。

やりたいね。

嫌な思いをすることよりも

自分を曲げることのほうが

よっぽどイヤだから。

うちがやりたいこと

やっていること

そんなヤワな意志じゃない。


2010. 06. 16

五里夢中

いつものようにノックをして

「失礼しまーす。」と教授の研究室に入ると

さすがにもううちの姿に目も慣れたらしく

満面の笑みで迎えてくれる。

今や大好きになってますジェンダー論の教授。

うちが席に着くか着かないかというときに

「だいぶ開けてきてるんじゃない?

なんかそんな感じがするんだけど。」

と突然言われました。

鋭いっすねー・・・その通りです(笑)

自分の考え?方向性?学問?研究?

何がどう開いてるかわかんないけど

そういう感じは自分の中でもありました。

とにかく「オープンッ!」って感じ。

・・・よくわかんないね(笑)

それとね

これはまだ秘めていたんですが

まだ決定でもないから途中経過を話すことになるんですが

これまた突然に

「あなた院に行かないの?」

って言われましてねー。

「もっと学びたいんです」って顔に出ちゃってますか!?

って思ってしまうほど驚きましたよ。

というのもつい最近

ジェンダー研究や女性学以外に

「セクシュアリティ研究」や「クィア・スタディーズ」

というものがあるのだと知りまして。

あれ・・・そいえばうち肝心なとこ勉強できてないな・・・

この大学じゃ学べないけど・・・

だからってそのまま教員になっちゃうわけ?

と思いまして「大学院」というものを意識するようになりました。

それと

以前この授業のときに聞いたことがあるんです。

「色々な運動とかありますけど

一番社会を変えられるのって何なんですか?」って。

「そりゃ研究よ。」と即答して頂きまして。

あーなるほどなー・・・けどでかいなー(笑)

なんて思ってたわけですが

待てよ待てよ

クィア・スタディーズという学問が入ってきて数年

クィア学会」というものが発足してもうすぐ3年

今から学んだらまさかの先頭集団入り?

つか何より当事者という強みがある。

まーそんな後付けもしてみましたが

うちの動機はいたってシンプルで

ただ「もっと学びたい」しそれが半端なく「おもしろい」から。

「やりたいときにやるべきよ。あなたが決めることだけどね。」

にこっ・・・と教授の笑顔付きの一言。

とはいえクィア・スタディーズというものは全く無知なので

まずは少しかじってから考えようと思っています。

それにしても

何が起こるかわかんないなー。

自分でそういう受け皿をつくってるんだろうけど(笑)

将来どうなってんのか全くわかんないよ。

とか言ってどうなっててもいいんだ。

うちがやりたいことをやってるなら。

自分の可能性をどこまでも信じてるならさ。

てか先が見えてる人生なんてうちは退屈でしゃーないわ。


2010. 06. 10

世代間のズレ

昨日のジェンダー論の授業は

2週間教育実習に行っていたもう一人の受講者の方の報告。

中学校でジェンダーに注目してくるようにと

課題的なものが出されていたのです。

結論からいうと

ジェンダーを感じることがほとんどなかったとのこと。

その学校だからとかクラスだからとか

そういった要因も考えられるけど

実習中にジェンダーを感じる機会はなかったんだそうです。

ただ

逆に自分がジェンダーを意識しているということに

気づくことはあったんだとか。

これを聞いてうちは

男と女に差があるように

世代によってもあらゆることに差があるんだろうな

と思いました。

つまり現在の10代の人はもしかしたら

ジェンダーによる規範がほとんどないのかもしれない。

でも

自分も含めた20代は

まだそういった規範が少なからず残っていて

さらに

親世代は

ジェンダーというものを肌で感じていて

もっと言えば

祖父母の世代は

ジェンダーの中で生きていたのかもしれない。

時の流れによって起こる規範や価値観のズレ。

これは解消すべきなのかという疑問も出ました。

うちの考えとしては

ズレをなんとかして穴埋めするのではなく

そのズレがあることをきちんと理解するべきだと思います。

おそらくどちらかに合わせるのは無理だし

それぞれの時代を生きた人が

その時代の規範や価値観を押しつけるのもなんか違う。

だからズレを解消するというよりは

そのズレの存在を認識して受け入れる。

これが大事なんだと思います。

というか

何においてもそうですよね。

様々な人がこの一つの社会で生きていこうとすれば

どこにだって誰にだってズレは生じるものです。

ただそこで既存のものに甘んじるんじゃなくて

今を生きてる今の自分が

新たなものを生み出さなければ

この社会に未来というものはないね。

いつまでたっても現在にいながら過去に生きる。

全てはいつか過去になるから

うちは未来を恐れずに

現在を生きたいと思います。


2010. 06. 03

フェミニズムに触れた日

今週のジェンダー論

本当は「バックラッシュ」についてやる予定でした。

バックラッシュってのは改革運動に対する反動とかなんですが

授業の始まる前の

「フェミニズムの本って研究室にありますか?」

といううちの一言から

授業の内容が急遽フェミニズムに変わりました。

フェミニズムにもいろいろ定義があるみたいですが

『フェミニズム事典』によると

女性解放思想ですね。

ウーマンリブという言葉もありますが

リブは運動と考えるとわかりやすいと思います。

さて

突然ジェンダーからフェミニズムへと広がったわけですが

これってすごく自然なことで

学問というものに触れたら

それだけじゃなく色んな分野に触れざる負えないんですね。

フェミニズムにおいても

学ぼうと思ったら社会の知識が必要になってくるし。

あー学校での社会の授業ってこんなに大切なんだ

って初めて思いましたよ(笑)

マルクスの資本論がこんなところで登場するなんて思わないし

1960年代は女性にとって変革の時代だとは知らなかったし

その背景に安保に対する学生運動があるのも知りませんでしたよ。

勉強ってこういうふうに活躍するんですね。

ちなみにフェミニズムについては

無知です。

だから

腹ペコのところに

たくさんの食べ物がでてきたときのように

今は本をむさぼり読んでます。

今一番うちと長い時間ともに過ごしているのは

間違いなく本ですね(笑)


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