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2010. 01. 30

セクマイに足らないのは「価値」

相変わらず考えてます。

どうやったら社会が変えられるのか。

この自分に。

うちが作戦を練るのに唯一ヒントになる授業があります。

スポーツ社会学です。

その中でも最近とても興味深かったのが

身体障害者スポーツで触れた身体障害者の価値について。

現代は業績主義や能力主義であり

「できる」ことができない障害者は

価値を低く見られているというものでした。

身体障害者もマイノリティであるため

うちはそこから多くのことを学びます。

ここからはそうして学んだうちの現時点での考え。

まず

社会を変えるには

同性愛者を肯定的に広めるには

何かしら価値を生み出さなければならないと思う。

社会や会社や学校とかに。

それはセクシャルマイノリティだけでなく

異性愛者にとって何か価値になるようなこと。

だから簡単に言えば

市場の餌になればいいんだと思う。

みんながもってる共通の価値って言ったら

結局お金だから。

もしテレビにレズビアンが出た時

視聴率が低かったり

話題性がなかったりしたら

その時限りで終わってしまうこともあるでしょう。

足らないのは「価値」。

テレビの視聴率を上げるほどの価値。

雑誌の売り上げを上げるほどの価値。

みんなが目を向け耳を傾け心を震わすほどの価値。

同性愛者が社会に何ができるんだろう。

同性愛者の社会的役割って?

異性愛とは違って生殖性がない同性愛者の生物的役割って?

・・・わからない。

わからないから動けないのだよ。

ちなみに今うちが

同性愛者であるうちが

どんな価値を身近な人に与えられるのかというと

「あれうちの友達。同性愛者なんだよ。」

って友達が誰かに言ったとき

「あの芸能人知ってる?うちの知り合いだよ。」

って言われたときの反応のように

「羨ましい」とか「いいな」って周りに思わせること。

その友達のイメージアップに繋がるような

ステータスになること。

そんな価値を与えられたらいいなって思います。

身近なことに関しては

そんなふうに何かしら見つけられるんだけど

社会となると難しいね・・・。

うちに足らないのは「頭」です。

もっともっと勉強しないとね。


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2010. 01. 29

恋バナに壁なんてないのだ!

最近恋バナをするときに

元カレではなく元カノのことが話せるようになりました。

昨日は友達が

別れるか別れないのか

好きなのか好きじゃないのか

それがわからない自分にもやもやしていました。

そのときにうちは

元カノの話を初めて友達にしました。

別れたときの話

てか社会に負けたときの話をしたときには

「泣きそうになった(笑)

(胸のあたりを指して)この辺が熱くなったよ。」

「自分の中の“切ない”って言葉が軽く感じられる話だった。」

って言われました。

ありのままの話ができると

ありのままの自分になれる感じがします。

それにすごく嬉しかったのは

異性愛者と同性愛者が

「愛」っていうことに関して

なんの壁も違和感もなく語り合えたことでした。

てか違いなんてないのかもしれない。

表面上のことを除いては。

だから堂々と話したらいいし

マイノリティーだからとか同性愛だからとか

そんなことは関係ないのだ!

そこを意識して話してしまったら

きっと悲劇のヒロインになってしまうだろうし。

うちはそんなことは目指してはいません。

自分を憐れむことなんてないし

逆にこの自分を誇れるようになりました。

異性愛者と同性愛者が

普通に恋愛の話ができるこの感じが

当り前になったら素敵だな

って思います。

そういえば今日も別の友達と結婚の話になって

「うちは結婚しないだろうからなー。

恋愛対象が女だし。」

って言えた自分に

ものすごく開放感を感じました。

友達も友達で

「あめー、私を好きになって。」

とか笑顔で返してくれたりして(笑)

もっともっと

溶け込んでいこう。

同性愛者である自分を隠さないまま

溶け込んでいこう。

あまりに自然に

存在してやろうじゃないか。


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2010. 01. 28

その「間」

先ほど友達と話してたときに

「心と身体と頭がね」

って何気なく友達が言ったその瞬間・・・

お!

おお!

そうか

「頭」だ。

その「間」にあるのは「頭」なんだって気づきました。

結局頭で整理してるんだから

言葉にするほどでもないと思ってたかもしれないけど

足らなかったのは「頭」だったんです。

例えば

心は男

身体は女

それが自分だと「思える」のか「思えない」のか。

性を考えるときには

その3つ目も意識してみてもいいのでは

っていうのが表現したかったわけです。

ふー・・・

すっきりした(笑)

こんな簡単な言葉で

誰かに伝わるかはわかんないけど。

ちなみに

うちの心は

・・・やっぱ「Fr」でいたいな。

安心しなよ

うちの心。

うちは縛ったりしないからさ。

ときどき型にはめたりはするけど(笑)


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2010. 01. 27

あ、それは付属品です

目を閉じて

自分の中の自分を探す。

そこにいたのは

男でも女でもない「自分」。

ってかもはや形もない。

そんな自分を見つけれたとき

右の口角を吊り上げて

誰と無く一人にやにやしてしまう(笑)

結局さ

結局うちは

なんでもいいわけさ。

それがうちだから。

ただ深く考えたいときに

あえて男と女っていう区別の仕方をして

あーでもないこーでもないってやるのが好き。

性別っていうのは

もちろん自分の大切な要素なんだけど

きっとそれって

顔が丸いとか

目が茶色いとか

声が高いとか

それと同じレベルだと思うんです。

生まれ持ったそれらは

普段は意識することは少ないけど

大切なことなんだよね。

でもそれが全てじゃない。

女であることが全てじゃない。

全ては「自分」にあるんじゃないかな。

形も

色も

音もないけど

確かにあるんだ。

可視化されているのは

付属品にすぎなくて

でもそれがあまりにも見え過ぎた。

本品はいくら目を開いたってきっと見えない。

だから時々うちは

静かに目を閉じてみるのです。


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2010. 01. 27

最悪で最効な具体策

大学内に同性愛を広げるには・・・

同じ大学の彼女をつくれば効果は抜群!

うちの大学は

なぜかどこからともなく恋愛の話は広がるからです。

誰と誰が付き合ったとか別れたとか。

しかもそれが同性だったら

尋常じゃない速さで広がるのではと思うのです。

だがしかし!

今気になる人はいません。

しかも

将来性の全くない恋愛。

完全に「人」を「物」として

いや「道具」として使っているともいえるこの行為。

さらには

相手の未来にある普通の幸せを壊す可能性すらあるのです。

うちは覚悟を決めたからいいけども

それまでにはたくさん考えたし

犠牲になるのが自分だけなら問題ないじゃん

って思って始めたことなので

誰かを巻き込むのはルール違反になるわけです。

そもそも

「大学に同性愛を広めるために付き合いませんか?」

なんて言われて

誰が付き合ってくれるんだろうか(笑)

でもね

頭で理解してくれた人でも

実際目にしたら拒否反応とか出るかもしれない。

百聞は一見に如かずって言うしね。

だからみんなの視界の中に

「同性愛者です」って看板しょって

嫌でも入り込みたいわけです。

そうやって身近にいることで

「あーそういうカップルもあるのか」

とか

「なんかいい感じじゃん」

とか思ってくれたら

おっしゃ!って感じだけど。

今まで散々

一人でいなきゃいけない

とか

パートナーはいらない

とか言ってきたけど

さらなる段階に進むにはそろそろ必要なのかな

って思ったりします。

本気の恋愛は期待してません。

こんな自分を受け止めてくれる人なんて

まーいないでしょう

って思っているので。

てかそれ以前に

うちが誰かと共にいながら自分を好きでいられるか

自信がないんです。

何かの目的で恋愛をするなら

うちにもできるかな。

同性愛を広げるためとか

自分の性を深めるためとか

お互いの人間性を磨くためとか。

いやーでも・・・

想像しただけでなんだか苦しくなってるぞ。


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2010. 01. 26

心と身体とその「間」

自分が性同一性障害なのか

まだ知識も身につけていないけど

自分なりにちょくちょく考えていました。

んで気づいたわけです。

もし心が男でも

そしてその身体が女でも

その不一致が自分なんじゃないかって

そう考えると心と身体が調和するんです。

言葉で表すのは難しいんですが・・・

うちは考えるときに

「もし心が男なら身体に違和感があるはずだ」

という一種の定義を自分の中で持っていたんです。

だからどんな視点から考えても答えが出せませんでした。

でも

「もし心が男でも身体に違和感を感じないこともあるんじゃないか」

「“心が男で身体が女”これがうちのベストなのかもしれない」

ってひらめいたわけです。

その不一致こそが答えなんじゃないかって

そんな新しい見地に至ったような気がします。

心がどちらの性なのかも定義できるわけじゃないので

あくまでも「もし」という仮定で考えていますが。

今まで性を考えるのに

「心」から「身体」へと思考は移っていたけど

それってあまりにも急といいますか遠いといいますか

・・・粗雑じゃないですか?

心と身体の間にもう一つ何かあってもいいんじゃないかな

って思うんです。

それを表す言葉がなかったから

無意識に通ってしまっているんだろうけど。

でもこの「間」が言葉にできない。

だからまだ腑に落ちません。

調和してるのか調和してないのか

そこを表す言葉がみつからないんです。

それにまだまだ言葉は足りません。

「性同一性障害」は

心と身体が「調和していない」もしくは「一致していない」

とするならば

「調和してる」自分は何て言おう・・・?

言葉遊びの始まりです。


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2010. 01. 25

3週間の辛抱

自分で創り出すエネルギーに

少し限界を感じる今日このごろ。

ガソリンないのにエンジンをかけようとしてるような

そんな感じです。

大学の課題とテスト

週5のバイト

自分の探求

そしてときどき見えなくなる自分の目標。

まー

特に今負荷がかかってるのは

おそらく大学の課題とテストです。

あと3週間耐えれば春休み。

頼むよ

もってくれ自分。

誰かの力を借りるのも

ちょっとだけ頼ったり助けを求めるのも

そんなに悪いことじゃないんだと

自分に言い聞かせた昨日。

自分から手を伸ばしてみたものの

その手が握られることはなかった。

自分のしたことに後悔だけが残る・・・。

結局

「やっぱり自分で乗り切るべきだった」

って思うのがオチ。

一人で頑張るより

誰かに頼る方が楽なんだろうけど

その方が賢いとは思うんだけど

うちはどうも苦手みたいです。

一人で頑張った方が

体はしんどくても

心は楽だな。

明日は最初の山場のテストがあります。

単位が落ちない程度に

頑張ろうかな。


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