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2010. 02. 28

同性愛者の自分が先生になろう

社会を変えるという目標をどう実現するかを考えた結果

今のところ最も自分らしくこんな自分でもできるんじゃないか

って思うことは

教師になって生徒たちに多様な性の授業をしていくことです。

「同性愛者である先生」として授業をするわけです。

うちは現在某教育大学で保健体育を専修しています。

ちなみに中学校の先生になろうと考えています。

そこで

保健の授業でそんな授業をしてもいんじゃね!?

って思ったわけです。

そのためには

まずは自分が勉強しなければと思い

セクシャルマイノリティの本を図書館で借りて

少しずつですが勉強を始めました。

自分の性を自分で説明できるようになることはもちろん

今年中に自分なりの教科書を作れたらと考えています。

子どもにとって学校というのは立派な社会。

その社会を変えれば将来の社会も期待できます。

クラスに一人はいるといわれる同性愛者。

この存在をうちは無視できません。

そういえばテレビに出たいという希望も捨てていませんよ。

むしろ「いつか絶対テレビに出てやる!」と言いふらしています。

だってほら

夜回り先生とか『不良少年の夢』を書いた人とかエリオット先生とか

教育界からテレビに出てる人っているじゃん。

しかもドキュメンタリーの方が

ある程度自分のやり方で自分のやりたいことができる。

誰かに指示されたり歪められたりするのが苦手な自分にとって

こういう方法のが向いていると気付いたわけです。

それにこのやり方なら

家族や親戚も認めてくれるだろうし

自分も胸を張って生きていけると思います。

両親や祖父母の悲しい顔を見なくて済むんじゃないか

ってそう思うんです。

大学生活は残り2年。

その2年で劇的な変化がなければ

うちはおそらくこの方法で社会を変えていきます。

そのときにはこう言えるようになりたいですね。

「教育現場は任せろ!」

って。


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2010. 02. 28

なんでもない今日なんでもない寂しさ

たまにはいいかな。

こういうこと書いても・・・。

休みたいなー。

心の底から。

今のうちにはできないことはわかってるけど。

そういえば最近気になってる人と先ほどまで飲んでました。

けどね

やっぱ違うと思う。

「好き」っていうのとは何か違う。

けどどこか切ない感じはあります。

心を開きたいと思う一方で

心を閉ざしておきたいという自分もいるし

委ねたくなる一方で

誰にも頼りたくないという自分もいる。

結局誰にも心を見せない自分に

癒されながらもどこか悲しさが残る。

うちは誰かに心を開くことはできるんだろうか。

誰かのそばで休むことはできるんだろうか。

今のままでいいけど

ふとそんな自分に悲しくなることがあります。

なんでもない今日。

でもなんか寂しい。

目が覚めれば

きっとまたいつもの自分。


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2010. 02. 27

「心の性」はどう定義する?

うちにはどうしても定義できないんだけど

「心の性」って

みんなどうやって自認してるもんなんだろう。

最近本で性について勉強し始めたんだけど

どうもここがいつもひっかかるんです。

身体は外性器で大抵分けられる。

インターセックスでない限り。

でも心って男とか女とかそういうレベルではない気がする。

心と身体を分けて考えるところまでは理解できるんだけど

心を男と女に分けようとするのはうちにはできない。

うちからしたら

例えば「この“目”は男なのか女なのか」

って考えるのと同じ感じなんです。

だから「性同一性障害か」っていう疑問に答えを出すことはできないし

「レズビアンです」って言い切ることもできなくなったんです。

少なくとも

身体は女で性指向も女という視点から見れば

同性愛者とは言えるので

カミングアウトするときはいつも

「同性愛者です」って言うようにしてます。

うちがこういうスタイルだから

周りもそのまま「あめ」として受け入れてくれてるのかも。

もっと早い段階で性同一性障害の方と出会っていたら

もしかしたらうちは男になりたいと思っていたかもしれない。

でも

うちは今の自分で本当に良かったと思います。


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2010. 02. 27

性別を越えた!?

1週間ほどバイトを休んでいたのですが

昨日久々にバイトに行ってきました。

そうそう

バイト休暇中にばっさり髪を切りましたよ。

あめ

せっかく成人式のために伸ばしたので襟足は残しました。

「ヤン毛!」と友達には言われます。

ヤンキーの髪の毛ってことらしいんだけど

「ヤン毛マン♪さぁ立ち上がーれよ♪ヤン毛マン♪」

と歌われる始末です(笑)

まーそんな友達の言葉は置いといて・・・

ばっさり切ると気持ちがいいもんだね。

やっぱ短い方が好き。

さてさて

話を戻してバイトのときのことです。

仕事終わりの中年のサラリーマンさん。

「いらっしゃいませ。」とうちがお茶を置くなり

「女か!?!?」と非常に驚かれました。

「はい(笑)」といつものように答えたんですが

「お待ちどうさまです。」と料理をテーブルに出したときも

「女か。」と二度目の確認。

髪を切ったら今まで以上に驚かれるようになってしまった。

意外とスーツを着た中年サラリーマンさんのリアクションはおもしろい。

うちは男と間違えられても女扱いされても特に嫌な気はしません。

どっちも自分だから。

それにカミングアウトした友達はみんなこう言ってくれるんです。

「あめはあめだから」って。

だから男だろうと女だろうとどっちでもあるとしても

てか性別よりも「あめ」っていうことのが強いみたいです。

性同一性障害の友達を持つ中学時代からの親友もそうです。

この親友は性同一性障害の人は本当に男として見てるんだとか。

だからうちの場合はどうなんだろうって疑問に思って聞いてみました。

あめ)「うちも男として見てるん?」

親友)「んー・・・あめはあめだからな。」

あめ)「それ素敵すぎるな。中学のときはどうだったん?」

親友)「もし中学のときに女として見てたら今頃パニックだよね(笑)」

ですよねー(笑)

つまり昔っからうちは性別を越えていたらしいです。

最高だな!!最高だよ!!

てか最近

性同一性障害の児童が性別を変えて通学することが認められた

っていうニュースが報道されてますね。

小学生に続き中学生も。

多様な性が認められてきたってことなのかな。

いやでも逆に

男か女かはっきり分けようとしているように感じるのは

うちだけでしょうか・・・。


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2010. 02. 26

出版社へ応募

FC2ブログの広告にこんなものを見つけました。

あなたの作品が出版される

という文芸社からの広告です。

見た瞬間に応募することを決めました。

そしてこのブログで先ほど応募しました。

わかってるんです。

このブログのままじゃ本にならないことは。

素人のひらめきで終わりかねないことも。

それにレズビアンカップルの方のブログや

同棲している方のブログのがよっぽど可能性はありますよね。

でも迷ってたら前に進めないし

とにかく行動してみなければわからない。

チャンスさえあれば飛びつく次第であります。

アイデアを出版社の方に読んで頂けるだけでも

意味のあることだと思うしね。

うちには何かが足らない。

けど地道にやってくしかないと思うんです。

止まってられないんです。

夢を本気で叶えようとしている人は

すでに何かを始めてる。

だからうちは進み続けます。

無駄足なんてない。

間違えたなら全力で戻ったらいい。

とにかくうちは

自分の信じた道を胸を張って歩いていきます。


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2010. 02. 25

自産自消の安らぎ

自分では得られないと思ってた

安らぎ。

でもそれは気付いていないだけだったのだと思います。

というか

誰かといるときの安らぎと

自分だけでいるときの安らぎは質が違う。

でも自分が必要なときに必要なだけ手に入れられるのは

どう考えても自分で生産する安らぎの方。

結局本当に頼っていいのは自分なんだと我に返りました。

ある人との安らぎを求めていたら

しんどくなるんですよね。

もちろん一緒にいるときはいいんだけど

その分いないときのしんどさが浮き彫りになってしまって。

まさに逆効果。

誰かの存在に一喜一憂するのはうちらしくないな。

ある人を求めてしまうことで

他の人との時間が大切にできなくなってしまう不器用な自分もいる。

てか安らぐからその人が好きなんじゃないかっていう単純な考えも

どうなんだろう。

盲目になってはいないかな。

それって本当に好きなのかな。

楽だから好きってそんな単純構造で

うちは相手を大切にできるんだろうか。

また振り出しに戻ろうと思います。

もう一度一人で立って歩いていこうと思います。

そして

もっと強くなろうと思います。


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2010. 02. 24

「インディゴの夜」にGID登場

先日友達から突然メールが来ました。

「インディゴの夜知ってる?」って。

「知らないなー。何で?」って返したら

「昼ドラやけど、みてみて。」って来たので即PCで検索。

あーこれちょっと見たことあるな・・・

ボーイッシュな人が確か出てたよなー・・・

ふむふむ・・・え?性同一性障害?てか周りは知らない感じ?

とりあえず見てみよ。

ってわけでそれが話題の33話と34話を見ました。





正直に言いましょう。

恥ずかしながら泣きました。

34話の動画

00:07:00から00:13:50にかけて。

テツに共感してではなく店長の言動に。

「テツー!!もう止めよう。止めようテツ。」

ってところは何度見ても涙が出ます。

どっかでこんな存在を求めてしまってるんでしょうね。

自分が理性を失ったときに

止めてくれる人や守ってくれる人を。

この心を包んでくれる人を。

情けをかけてくれたり自分のことのように考えてくれるのではなく

その人自身の心が怒り悲しんでくれる人を。

自分の性を考えていて

泣きたくなることだってある。

誰かの腕の中で泣きたくなることだってある。

でも誰かの前で泣いたことはない。

まだそこまで窮地には立っていないから。

これから先ズタズタになるときがくるかもしれないから

理性を失うほど怒り悲しむときがくるかもしれないから

そのときのためにとっておこうと思ってね。

それにしても

性同一性障害は認知されてきたし話題にもなってきたけど

他にも微妙な曖昧な言葉では表現しきれないような性があることは

いったいどれくらいの人が知っているんだろう。

いったいいつになったら気付くんだろう。


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