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2010. 04. 30

みんな顔が違うように性も違う

毎週水曜日はジェンダー論の授業。

ちょっと遅くなっちゃったけど3回目の感想。

初めてのレジュメの作成と発表。

自分ではわかっていても

他者にわかってもらうということは

実に難しい・・・

というのが率直な感想。

まだまだ勉強が足らないというか経験が足らない。

まーでもこの授業をやってる間に

少しは改善されるだろうと甘い期待(笑)

さて

前回もジェンダー論の内容だけでなく

教授の一言に大きな衝撃を受けたわけですが

この教授の言葉一つ一つが

その場でメモをとりたくなるほど

うちにとっては名言だったりします。

「みんな顔が違うように性だって違う」

という言葉にはひどく共感しました。



じゃあ一人ひとりに名前をつけるように

性にも名前つけたきゃつけるってのもありなんだな

とか思ったりもして。

みんな違って当たり前。

目だって鼻だって胃だって腸だって

「人体模型のようになってるわけじゃない」

そんな当たり前のことに気付いていない自分に気付きました。

一つのモデルとしてあるわけで

でもそのモデルに当てはまる人なんていないわけで。

だからこそ一人ひとりに名前がある。

うちは名前っていうのは何かと「違う」という差異が生まれたときに

つけられるものだと思っています。

だからその違いを強調したかったら名前でもつけたらいいんじゃない

ってうちは思うわけです。

それで解放されることもあるわけだから。

今回心に留めておきたいと思った言葉。

「考えるときには理屈は必要だけど

判断するときは直感を信じなさい。」

・・・はい!(笑)


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2010. 04. 25

ハートだけじゃだめ

いやー

うちは未だかつてこんなに勉強したことはあっただろうか。

小中高の勉強はというと

勉強のための勉強にすぎなかったけど

今してる勉強ってのは

まさに自分が生きるためにやっているように思います。

ただ覚えるだけじゃだめで

ただ誰かの言葉を引用するだけじゃだめで

そこから何を自分で生み出せるかが大事になってきます。

だからね

教科書だとか

本だとかだけじゃだめなんだと思いました。

まだ形になっていないものとか

まだ公にされていないこととか

例えば実際に自分で見て聞いて感じてくることや

色んな人の研究や論文に触れることとか

そういった

より現実に近くて自分の言葉になるような経験や

一つの事実となり得るようなデータのある研究と

その結果から見えてくる色んな考察とかから

うちは何かを感じるんだろうし

みんなも何かを感じるんだろうと思います。

自分の心で感じ

自分の頭で考えること

それが何より大事。

じゃなきゃ人の心は動かせない。

「自分」というものが込もってなければ心を動かせないのに

「事実」がなければ納得してもらえない。

その事実というものは普遍性が求められるけど

人間を扱う以上

それは限界があるんだろうと思う。

「これが事実です」って自分で言うことで形になって

その中がぎっしりと詰まっていたら認められるものなのかもしれない。

ふー・・・

理論武装はしっかりしていかないとな。

ハートだけじゃどうにもならないことだってあるから。

あれ・・・?

「これからは論文も読んでいきます」

っていうただそれを書こうとしただけなのにな(笑)


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2010. 04. 24

踏まれることは恐くないけど

ついでに言っておくと

「無知って恐いな」

って感じることは

知らずに踏むこと。

知らずに踏み台にすること。

どこで何を踏んでるかも気づかないこと。

踏まれた何かが傷ついたことにも気づかないこと。

きっと今まで色んなものを踏んできたけどね。


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2010. 04. 24

あなたのことを教えてください

なんで人は

無知を恐れるんでしょう。

いや

恐れるというより

なんで恥ずかしいと思ってしまうんでしょう。

わからないことに向き合わず

その場を取り繕う姿の方が

よっぽどかっこ悪いとうちは思う。

だからうちは

わからないことには

「わからないので教えてください」

と言える自分になりたいと思う。

「1+1」が「2」であることがわからないと恥ずかしい。

でも不思議なことに

「1+1」がなぜ「2」なのか

いやそもそも「1」ってなんなのか

そんなことを考えることはなく

考えたことすらないことを恥じる人すらいない。

それはもう当たり前のようなことだけど

じゃあうちは何を恥じているんだろう

とふと思ったりします。

「1+1」がわかるところで

「わたし+あなた」を考えるわけでもわかるわけでもない。

当たり前のようなことだけど。

わかったような気になっていることなんてほとんどだけど

一つだけでいいから

うちはわかっているものが欲しい。

それがこの自分。

それと

一つでも多くわかっていたいものもあって

それが誰か。

まーでもそれこそ「わかった気になっている」ことかもしれないし

「わかった気になっていることを感じる」ことしかできないかもしれない。

それでもいいよ。

所詮自己満だけど

うちには何か見えたと感じる瞬間がある。

そこまで考えるのが好き。

でも言ってみてもおもしろいかもね。

「あなたのことを教えてください」って。

うちなら苦戦しながらも喜んで答えるよ(笑)


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2010. 04. 22

身体そのものに性別はない

「ジェンダー論」の授業の続き。

「事実」の手掛かりになるようなことを記録したくて書きます。

ちなみに授業は本をもとに各章を一人がまとめて発表し

その後話し合っていくことで理解を深めていくといった進め方。

来週やる内容はまず性別そのものの根源的な意味のジェンダー。

つまり身体の性についてです。

そして早速うちが担当することになりました。

さて

身体は区別できると思っている人がいるなら伝えたい。

そんなに簡単なものではないというのが事実なんです。

身体そのものに性別なんてない。

そして誰一人として同じ身体もない。

それでもうちらは区別をする。

生まれてすぐに男か女かに振り分けられる。

じゃあ何で判断する?

性染色体がどっちか?

性腺がどっちか?

外性器がどっちか?

実はこの多層性があるのが事実。

そしてその組み合わせも多様です。

その一例として「インターセックス」があります。

「“XX”の遺伝子を持つ男性」や

「精巣があり体型が女性」など様々です。

それでも身体そのものに性別があると思えますか?

うちにはさっぱり。

結論からいえば今読んでる本によると

その区別をしているのはわたしたちの「まなざし」です。

認識の中で区別しているというわけです。

でもよく考えてみれば当たり前のことで

今ここにあるペンだって

物体があることは見てわかるけど

それがあるだけでは「ペン」っていえない。

うちらが「ペン」と認識してるからペンはペンなんです。

それでもなぜわたしたちは区別しているのか

それにももっともな根拠が色々とありますが

今回は「身体そのものに性別があるとはいえない」

という一部分だけに絞らせて頂きます。

きりがないので(笑)

ただ本を読んで特に共感したことを一つだけ。

「二元的性別を<認知>するという事実は、・・・(中略)・・・

より望ましい社会運営を模索していくことさえもが

不可能だという<理由>には、決してならない」

(加藤秀一『知らないと恥ずかしいジェンダー入門』朝日新聞社より)

つまり

二元的性別があることと

わたしたちの社会や生き方の中での性別のあり方は

次元の違う問題ということ。

だからもしこの二元的性別によって

傷つけたり傷つけられる人がいるのは

排除したり例外として扱われる人がいるのは

おかしいんです。

うちらが生きてるこの社会や

生きているこのわたしたち自身が

二元的性別に縛られるのは

なんだかむなしいね。

だってわたしたちがわたしたちを縛ってるようなもんなんだから。

だからうちは

自分を縛るつもりはないよ。


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2010. 04. 21

「FTFr」マーク

思いつきでつくってみたよ

マークを。

mixiのプロフィールで使用中だよ。

「FTFr」マーク


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2010. 04. 21

ジェンダー論を味方に

大学の講義で「ジェンダー論」というものを発見し

全く該当の授業ではないけれど

自分のためにと個人的に取ろうと思いました。

そして今日が2回目の授業の日。

だけど実は1回目のときは気づかず出席していませんでした。

その旨を事前に担当の教授にメールしたところ

もちろん受講可。

そしてなんと今年は受講者1名だとか(笑)

うちを合わせても2名という少なさ。

大学自体が小さいのであり得ることなんですが

まさかここまで少ないとは・・・。

そのため研究室にてこじんまりと授業は行われました。

だがしかし

なんと今日はもう一人の方が欠席。

まさかの1対1の授業。

贅沢すぎる!(笑)

てかこの教授と会うの初めてだ・・・ドキドキ・・・

ってなりながらも

性別のことに関して勉強できるならどんな人からでも学ぶべきだ

と何ともプラス思考な自分がいました。

恥なんていらない

馬鹿だと思われても構わない

無知を恐れず

学んでいこう。

こうしてうちにとって初の「ジェンダー論」の授業が始まりました。

そもそもうちがこの授業をとろうと思った大きな理由は

今年になって性別や同性愛についての本を読み始めたときに

ジェンダーに関する本も読んでみたものの

その言葉の持つ意味の多さに混乱したので整理したかったから。

結局それ以降ジェンダーについては本を読んでいませんでした。

自分のなかできちんと「ジェンダー」というものを定義できずに

先に進むことができなくなっていたからです。

教授にもそのように話したところ

「鋭い!」とまさかの反応。

他にも

「身体ですら男か女に簡単に分けられるものではないと思うんです。」

とうちが密かに納得のいっていなかったことを話しました。

「あなたわかってるじゃない。」とこれまたまさかの反応。

あれ・・・なんか気が合うぞ(笑)

性別についてこんなにも真剣に

しかも知識が豊富な方と話したのは初めてだったので

なんだかむちゃくちゃ楽しい90分間でした。

そしてうちの考えはある程度ずれていないのだと

本の言葉や教授の言葉からわかりました。

きっとジェンダー論も味方になってくれる。

ただうちの意見というものには

「事実」というものが伴っていないという弱点に気づきました。

「意見は誰でも言える」という何気ない教授の言葉にハッとしました。

うちに必要な「事実」ってなんだろう。


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