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2010. 05. 31

マジ100キャンプ

突然のキャンプは「マジ100企画」という団体のイベントでした。

団体についての詳細はこちら

そしてそのときのゴーイングアウトについてはこちら

さてさて

うちがなぜこの団体を知ったかというと

少し前にママチャリキャラバンのカフェでしゃべり場に参加しました。

そのときの様子は『カミングアウト!!カフェでしゃべり場』で。

そのときに出会った人が「マジ100企画」を紹介してくれたんですね。

そして

これはチャンスだと

とにかくチャンスだと

一人だけど参加しちゃおうと

知ってる人いないけど参加しちゃおうと

そう思って参加しました。

うちは団体っていうのが不得意で

みんなで遊ぶのが不得意で

だからそんなうちを見て不快に思った人もいるかもしれないけど

そこは本当に申し訳ないんだけど

自分を偽ったり飾ったりすることがひどく苦手になってしまった。

作り笑顔もできなくて

誰かと故意につるむこともしない。

つまんない奴だと思われてもいいし

寂しい奴だと思われてもいい。

楽しければ笑うし

興味があったらそばに行く。

この自然にまかせます。

ただ場の雰囲気は壊さない程度に。

すごく刺激になりました。

色んな人に出会えました。

色んな人と話せました。

色んな何かに触れられた気がします。

そして色んな人に触れてもらえた気がします。

うちは男とか女とかの区別にこだわりながらも

こだわり過ぎないように気をつけてるんだけど

今回は少し気づいたことがありました。

男性熱いね!

なんか熱いよ!

握手したら放してくんないし

コアな部分を質問してくれるし。



女性がそうじゃないって言ってるんじゃなくてね。

別れるときには

なぜかうちのところには男性陣がいてくれたし。

なんかこんな光景は初めてだった。

うちは今まで男友達ってのがほとんどいなくて

だから一緒にいることもあんまなかったんだけど

今回は違いましたね。

新たな自分に出会えました。

うちはどこか男性というものを避けていたように

そんなふうに思います。

あーなんてもったいないことをしてたんだろうと思います。

でもそれは男性に限らず言えることで

やっぱり人との出会いは大切だと

深く深く思いました。

ただその出会いが表面だけじゃなく

心に残るものになるかは

自分次第だとうちは思うので

量より質

でもどちらも妥協はしない方針で

これからも色んな人と出会っていきたいと思います。


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2010. 05. 29

キャンプだほーい♪

突然ですが

今日明日と

一泊二日でキャンプに行ってきます。

詳しいことはまた今度。


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2010. 05. 27

ジェンダー教育について聞いてみた

性教育とは別に

最近ジェンダー教育というものが気になってます。

自己の確立に欠かせない性というものを

学ぶ機会が必要だとうちは思います。

でも

いまいち上手く言葉でその必要性を表すことができません。

「なんでジェンダー教育が必要なんですか?」

と聞かれたときに

「人権問題なんです。」

とは言えますがそれ以上はきちんと答えらない状態です。

今日はその疑問をある方に質問してみました。

うちの大学の附属中学校の先生です。

教育実習の事前指導として授業をしにきてたんですね。

どうしてその方に質問したのかというと

附属中学校では

「ESD」というものに取り組んでいます。

「持続可能な開発のための教育」の略で

その教育の中にジェンダー教育というものがあります。

ここまでは附属中学校のパンフレットで知りました。

ではなぜジェンダー教育を取り入れたのか

実際どうやってジェンダー教育がされているのか

そこまではわからず気になって仕方がなかったので

授業の合間の休憩時間に直接聞いたというわけです。

短い時間でしたが丁寧に答えて頂きました。

やはり根本にあるのは「人権問題」です。

そしてジェンダー差というものは頭でわかっていても

なかなか日常には反映されにくいものです。

だから感覚的なものを学校で身に付ける必要があります。

「女なんだから」「男なんだから」というものに

「なぜ?」と疑問が持てるようになることが大切です。

以上が大まかな返答の内容になります。

「感覚的なものを身に付ける」というところに納得しました。

児童生徒にとって日常のほとんどを学校という場で過ごすので

学校でのジェンダー教育の意義が少し見えた気がしました。

次にどのようにジェンダー教育を実践しているのかを聞きました。

そしたら

特に意識した取り組みはほとんどなく

ぼんやりと目標としてある程度なんだそうです。

そして何より

まず児童生徒よりも先に

教員といった職場の雰囲気から変えなければならない

ともおっしゃっていました。

そうは言っても

特に具体的な動きがあるわけではないようです。

結局

「ジェンダー教育」というものを目標に掲げていても

なおざりにされてしまっているような印象を受けました。

でも

そこで落胆したわけではなくむしろ

「ジェンダー教育はこれからだ!」

という希望というか可能性といったものをうちは感じました。

まだまだジェンダー教育について語れることは少ないので

もう少し探ってみようかなーと思います。

それと

色んな人から積極的に情報収集しようかなーと思います。


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2010. 05. 26

性別と性的指向の癒着

今日は水曜日。

ジェンダー論の話。

内容はというと

「ジェンダー」と「セクシュアリティ」という言葉について。

この二つの外来語は

「性」の意味を分析する道具として重要です。

今回は一つの限定された定義として

ジェンダーは性別そのものとそれに連なる性自認・性差・性役割

セクシュアリティは性欲のような感覚的なもの

としていましたが

うちの印象としては

ジェンダーは社会的(もしくは集団的)なもの

セクシュアリティは心理的(もしくは個人的)なもの

といった感じですね。

そして今回

声を大にして伝えたいぐらい大事なことがあって

それが

「性別と性的指向は独立している」ってこと。

だから

性別が女

性的指向が女

そこをくっつけて考える必要はないんです。

性別+性的指向→性自認

というようにして考える必要はないんです。

特にうちは

半年くらい前までそれに気づくことはなかったので

そりゃもう色んな糊でくっつけようとしたわけですが

やはりそれは大変なことで

独立したものとするほうが

驚くほど楽になります。

もし性別と性的指向が同じ性であることで

考え込んでいる人がいるなら

もしかしたらひそかに

その人の中で異性愛主義が呼吸をしているのかもしれない。

「女は男を好きになるものだ」という前提はなくて

今のうちにとっては

女である自分が女を好きになることは

あまりに自然なことです。

そしてもうそこから性自認を導こうとは思いません。

一応自分なりの性も見つけたしね。

「あるものとして」いく方が本当に楽です。

もし「ない」というのなら

「ないというものがあるとして」でもうちはいいと思います。

性自認も

自分というものを考えることになるので

答えはでてきません。

何かを答えとすることはできると思いますが。

だからいくら穴を掘っても

どんどん深く暗くなって

孤独になっていくだけで

そこから抜け出せなくなることもあるから

注意が必要です。

それがどれほど危険かは

うちは全く実感がなかったけど

教授が

「よく無事でしたね。本当に。無事で良かったです。」

と言いながら

笑顔の中に時折見せるどこか悲しげな表情を見て

うちは心から思いました。

あー

生きてて良かった。


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2010. 05. 25

自分が認める自分

「自分が憧れる自分になろう」

ってあるとき書きましたが

今日はさらに追加。

守りたいと思えるほどの自分になろう。

「弱いから守ってあげたい」っていう意味ではなくて

「こいつを失いたくない」っていうのを自分で思えるような

それほどの価値や魅力を持った自分になろうってわけ。

それらを自分自身で感じていたら

自然とうちはうちを守ろうとするでしょ。

そのときにはきっと「それほどのもろもろ」が

うちにあるはずだといえるわけです。

「守る」ってね

それだけ大切なものだから起こる行為だと思うんです。

守りたい人

守りたい物

守りたい場所

守りたい約束

人それぞれ色んな守りたいものってあります。

「死んでも守る」ってね。

でもそれは守る側と守られる側が違うから言えることで

「うちがうちを守る」っていうのはありえないわけだけど

ここで登場するのが二人目の自分。

最も厳しく

最も信頼できる

大切なパートナー。

今回の話に限らないんだけど

うちが大切にしてるのは

特に自分の内面に関しては

目標を自分が認める自分に設定するってこと。

基準は他の誰かではなくて自分。

言い訳の余地なく冷酷に比べられるのは

「あの自分」と「この自分」だから。

でも不思議なことに

評価は自分ではなくて

実は周りにいる人なんじゃないかと思います。

その評価を感じたうえで

うちは自分を評価しているんだろうな。

自分が認める自分のなかには

他者が認める自分が含まれてるわけですね。

そうやって自分の中に誰かの存在を感じながらも

うちはうちを見つめていこうと思います。

それでは

うちのさらなる成長とご活躍を祈念申し上げ

この記事の締めとさせて頂きます(笑)


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2010. 05. 25

敏感で弱い人、敏感で強い人

「敏感」と「弱さ」って

同じ一直線上に存在する気がします。

必ずしもそうってわけじゃないんだけど

うちの場合は特にそう感じます。

なんだか色んなことに敏感になった最近

身体がちょっとだるくなったり

心がちょっと乱れたり

そんなこともあるものだから

よく一人になって整えてます。

それで気づいたんだけど

敏感になれたこと自体はめちゃ嬉しいんです。

些細なことに目や耳や思考がいくから。

でもそれに自分が耐えられないようなら

それはただの弱さになってしまうんじゃないかと。

コントロールできてないわけだからね。

例えば

すごく気の利く人がいるとして

もしその人がそれで疲れちゃうようなら

むしろ鈍感になった方がいいんじゃないかと思います。

鈍感っていうのも良いものだとうちは思うし。

てかそういうのもないと生きていけないし。

でもできれば

それは一つの才能というか長所なんだから活かしたいですね。

さっきの人の場合だったら

みんなが気がつかないようなところに手を加えたりして

みんなが気がつかない内に欠かせない存在になってみるとか。

感じたものを

その人がどうするかで

「強さ」とできるか「弱さ」となるかが変わってくるんじゃないかな。

つまり

「敏感」を挟んだ「弱さ」の反対側には

きっと「強さ」があるはずなんだと思います。

だからうちは

これをうちの強さにしようと思います。


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2010. 05. 23

ブログ一周年

なんと今日で

ブログ一周年。

ちょうど昨年の5月23日に始めたんですねー。

まさかね

こんなに続くとは正直思っていませんでした。

なぜってね

うちって短期集中型なんです。

そんなうちが

日課のようにブログを書くようになって

まさに「日記」となって今では大事な記録となっています。

さて

せっかくなので

1年間やってきた感想でも書こうと思います。

ブログを始めた当時

自分というものを再構築しようというただそれだけだったうち。

まさか生き方を左右するほどのことが起こるなんて

とてもとても想像していませんでした。

ブログを誰かに教えることも

カミングアウトをすることも

人生をかけて夢に挑もうとすることも

全てが想定外。

でもそれが「本当」で

いつも本気で向き合ってきた自分が出した結果です。

そこに妥協も偽装もありません。

生きることや生かすことに一生懸命になって

考えることや話すことに全身全霊を込めるようになって

色んなことがあったけどね

うちは幸せです。

この1年

無駄なことなんてありませんでした。

一瞬という時間

一言という言葉

一人という人間

そんな単位を感じながら過ごしてきました。

そしてそんな小さな単位に大きな重みがあることを知りました。

たった一人の人間。

でも

いやだからこそ

誰もが誰も持っていないような多くの可能性を持っている

・・・とうちは心からそう思います。

ありきたりな言葉で心に響かないかもしれないけど。

それを信じるかはその人次第で

それを生かすかもその人次第だけど

もし自信がないだけなら

うちはその人を信じてその人の心のそばにいたいと思う。

ブログをやり続けていたらね

そんなことを思うようになりました。

どれほどの人が読んでくれているのかはわからないけど

その見えない姿に支えられ

拍手やコメントに支えられ

いったいどれほどの恩返しができているのかもわからないけど

とにかくね

何が言いたいかっていうと・・・

読んでくれている全ての人に

ありがとう!!


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