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2010. 12. 31

どこよりもだれよりも

大晦日ですが

一年の振り返りをする気が全く起こらないので

いつものように

考えてたことをただ書きます。

さてさて

今回のヘアースタイルは

今までにないくらい奇抜な感じですが

それはどこからきたのかっていうと

もちろん「やってみたかった」

っていう純粋な理由もあるけど

それ以上に「自分を強く感じたかった」んです。

強く強くね。

頭の中だけでできないわけじゃない。

でも髪に任せたら楽なんだ。

しかも自分だけじゃなく周りにも感じてもらえる。

ヘアースタイルって大事な表現の一つだよね。

でも今回は「表現」っていうより

「目印」の役割のが強かったかもしれない。

うちの心が迷ったり見失ったりしないように

ちゃんと戻ってこれるように

うちは強く強く自分を感じていたい。

最近特に

うちの心が自分の中に居場所がないように感じてるようで

不意にどこかに行ってしまってるような気がしてた。

「ここにいてよ」

なんて言っても離れていく心は

「ここにいたい」

って思えるうちにならなきゃ

きっとまたどこかに行ってしまう気がする。

どんなになだめても

どんなに抱きしめても

どこかのだれかの安心や温もり

そんな休めるところを求めていく。

だから自分の心がうちに思いを寄せてくれるような

そんな自分でいなきゃって思うようになった。

うちの心がどこにいても

うちをみつけて寄ってきてくれるように

こうやって目印をつけてうちは生きる。

きっと大丈夫。

うちは今

この髪から強く自分を感じてるから。

自分の価値観

自分の生き方

それに

自分の強さも弱さも

責任も覚悟もプライドさえも。

そんなうちがここにいるよ。

いつでも帰っておいで。

また二人で歩いてこ。

来年もよろしくね

自分。



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2010. 12. 31

ヘアースタイル三変化

2011年を迎える前に

なんとなく髪を切りたかったから

今日がっつり切ってきたよ!

気合い入れてきたよ!

正面

え?

前と変わってないって?

いやいやポイントは反対側なんだなー。

ポイント

がっつりいきましたがっつり。

1センチにも満たない刈り上げ。

ちなみに前から見て左が2ブロック。

右が1ブロック。

何気にブロックでもアシメってわけよ。

でも実は今回はこれで終わらないんですねー。

なんたって年末ですからー

どうせならやりたいこと全部やってしまえ!

って思って

美容院から帰ってきてから

まずは黒い部分をレッド系の色に自分で染めてみた。

カラー

相変わらず黒が強くてほぼ黒っぽいけど

光に当たったらほのかに赤い感じになってくれた。

まー良いまー良い。

ちなみに前のカラーは四苦八苦しながらも見事残留。

それから

ずっとやってみたかったけど

うちの行ってる美容院ではやってないって言われて諦めてた

バリアート。

てか自分の手で実現させたらいいんじゃね・・・?

ってことで

バリカンはないからレザーアートに挑戦。

ちなみにレザーアートはカミソリで剃るやつね。

直線ぐらいなら自分でもできるっしょ!

って思って頑張ってみたけど・・・

カミソリって上手く剃れねー(笑)

しかも角度的に自分じゃ無理ー(笑)

それでも諦める気にはならず

眉毛カットのはさみを取り出しジョキジョキ。

そしてなんとなくできたー!(笑)

ライン

たぶん1週間も持たないけど。

そんときはまたジョキジョキすればいっか。

まー良いまー良い。

・・・ということで

今回は三変化を遂げました。

虫でいえば成虫だね。

どーでもいいけど。

よしゃー!

やりたいこと全部やったったぞー。

めちゃ爽快で気分イイ!

やりたいことはやっぱやんないとねー。

本気でやればきっとできる。

大抵のことはただ後回しにしてるだけ。

本当は今すぐにでもできる。

やらない今はたぶん言い訳してるだけ。

うちは我慢なんてしてらんないね。

周りの目なんて気にしてらんないよ。

やりたいことをやる。

んで

なりたい自分になる。

誰にもなれない自分になったろ。

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2010. 12. 30

他人の感情

今まで自分の中で

支える側と支えられる側に分割することはあったけど

新たな分割方法があることに気付いた。

自分の感情を他人のものとする。

自分ではあるんだけど本人ではない

そんな他人である自分をかたどって

感情をそこに置いていく。

そうやって

自分の中に他人をつくるってわけ。

そうすると何が良いかって

第三者になって相手の話が聞けたりする。

どんなにうちの心がざわつく話であっても

自分の感情を相手の言葉に乗せることなく

装飾のない手で相手の心に触れられる。

いつものうちの好きな聞き方で耳を傾けられるから

自分を嫌いになることもない。

それが良いよね。

難易度は正直かなり高いけど期待度も高い。

そんな画期的な方法。

でも一つ心がけておきたいのは

他人の感情とするのは

話を聞いてるその瞬間さえできればいいから

一人になって落ち着いたころには

決して置きざりにしたりはせず

ちゃんと迎えに行くことを忘れないようにしよう。

他人のものという形にしたって

所詮自分の感情なんだから。

そして他人が自分に戻ったときには

びっくりするほどそいつは甘えてくるけれど

そのときはいつものように

もう一人の自分が支えてあげようじゃないか。

まだまだぎこちないけど

これに慣れたら

うちの耳はもっと多くの声を聞けるようになるはずなんだ。

成長の種の発芽の予感。

でもね

その期待の一方で

もしかしたら

自分の声は誰にも聞こえなくなるかもしれないとも思う。

まーそんなときも

とりあえず自分の耳で聞いてあげよ。

もちもーち。

応答どーじょー。



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2010. 12. 27

反省文

大人げない自分を

反省した一日だった。

結局うちは自分のことしか考えてなかった。

母が言葉を選んで表現してくれたコメントを読んで

うちはただこう言えば良かったんじゃないかと思う。

「母さんもしんどかったんやね。」って。

しかもあのコメントは

そもそもうちに向けてのものではなかったのに。

今は成長の種をみつけた気分。

うちは親と子の関係だからと

うちは子どもだからと

わがままを言ってもいいとは思ってなくて

もっと母と良い関係を築きたいってそう思ってる。

もちろん

今までだって最高に良い関係だと思ってるけどね。

でも

母の言葉を「ふんふん。」とただ聞けるようになったら

きっともっと良い関係になるんじゃないかって気づいて

嬉しくなった。

母はうちの言葉を「ふんふん。」と聞いてくれる。

そこに自分の思いを乗せることなく。

それがうちは楽だから

なんでも話せるようになって

こうして母も見ているこのブログでも好き勝手書き続けてる。

最近は冗談も交えながら話せるこの感じが

うちは好き。

感情は共感するばかりじゃなくて

ときにはただその人の感情として流すことも大切。

その感情に入り込んだら

また違う感情が生まれて

複雑なものになってしまうこともあるから。

うちはもっと母を大切にしたい。

かけがえのないうちの母さんを。

色々とごめんね。

あんまり謝るとまたなんか言われちゃいそうだから

一回だけにしとくね(笑)

今日バイト先で1歳とちょっとの子と出会った。

突然目があってしばし茫然と立ちつくし見つめ合う。

「あめちゃんに“こんにちは”しよっか。」

と言われたその子は

10°にも満たない絶妙な角度で

腰からとも首からとも言えない絶妙な動きで

うちに“ペコッ”

・・・っというかむしろ“ビクッ”と一瞬前に傾いた。

しかも無言で無表情。

同じ人間とは思えないその予想外の愛らしい姿に

うちは失礼なことに挨拶も返さず

思いっきり爆笑してしまった(笑)

あなたは小人・・・ですか・・・?(笑)

うちにもこんなときってあったんだろうか。

母さん

うちにもこんなときがあったんでしょうか?(笑)


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2010. 12. 27

最初の講義の質疑応答~母編~

最初の講義の質問用紙に書かれた質問は3人宛でした。

うちと彼女と母に対してそれぞれ質問がありました。

そして今回

母が質問に対してコメントをくれたので

そのまま掲載します。

ちなみにコメントはこちらの記事にあるものです。


■母からのコメント■

『あめから、「親・先カミング」の講義のときに、母親宛ての質問があったから
答えてほしいと頼まれていました。
二人の方からの質問でしたが、内容は同じようなものでした。

「「女性のことが好き」、とうことを母親が聞いたとき、どう思ったか。また今はどのように感じているか」というもの。

あめからカミングアウトされたのは、今年三月。
「社会を変えたい」という言葉から始まりましたが、何が言いたいのか?と思いながら次の言葉を待ちました。すると、「うちが好きになるのは女性なんよ」。
そういうことだったのか!!あめが悩み続けていたのはこのことだったのか・・
はじめにきた感情は、「どうしよう」でもなく、「困った」でもなく、嫌悪感でもありませんでした。
答えがわかった安ど感が先でした。納得したと言ったら変な言い方かもしれないけど、やっとあめの苦しみの根源が分かったという気持ち。
でも。今またなんでこのタイミングでこの話なのか・・次から次へとやってくるいろんな問題に、ため息が出る、疲労感の濃い私がいました。(でもこれは自分側からの言い分で。)

「話してくれてよかった・・」と心から思いました。そうしなければどうにもならないところまであめが精神的に追い込まれていることもわかりましたから。
同時に、私にとって、できれば一番触れたくない「性」という問題を、ストレートに目の前に突き出したことに対して、どういう意味があるのか?と思った。自分の知識のなさも恨みました。私はあまりにも無知過ぎました。
浅はかな知識や感情でものを言って、あめを傷つけることを恐れました。その無知が情けなかった。
あめは男であろうが、女であろうが、私の大切な子であることに変わりはない。同性愛者であろうとなかろうと親子関係になんの影響もない。あめが生まれてくるとき、たとえ障害をもって生まれてきても、どんな子であろうと私が育てる!!とかたく心に決めていたことを思い出していました。
私に話したということは、これからこのことに一緒に向き合っていくということ。覚悟が必要です。
親の本質を問われていると感じた。ここで、あいまいなことを言ったり、逃げたりしたら親子関係、家族関係、全てが壊れる。それを一番恐れました。私の家族の中での役割・・家族の中で私に一番最初に話したということ・・ということは、私の役割は何?
それにしても、生きててくれてよかった。このまま黙ってさよならなんてされたら私は一生後悔し続けるだろう
・・・そんなことが頭の中をぐるぐる回っていたように思います。
今考えると悲壮感が強かったような気がします。やっぱり重く受け止めてたんでしょうね。

そして今はというと・・
多少なりともセクシャルマイノリティに関する本を読んだり、あめの話を聞いたり、考えたりするするうち、
広い意味で、同性愛者であることをことさら問題視する必要はないんじゃないかと思っています。わざわざ自分を異性愛者だと言う人はいないように、同性愛者も異性愛者も区別することなく同じ人間ってことで差別されることのない社会であればいい。そういう風に社会を変えたいとあめは思っているんだと理解しています。
ボーイッシュなところはあめの個性と思っていましたが、同性愛も個性と考えちゃいけないのかな・・
将来、結婚とか、家族をもつということは今のあめには関係ない気がする。パートナーと言える人との出会いもあるかもしれない。そのことに関してあれこれ言うつもりはない。幸せの形はいろいろのはず。

カミングアウトされてから、あめとの関係は深まったし、あめから私はいろいろ学ばせてもらっています。
少なくとも、あめがカミングアウトしてくれたことで、自分が気がついていなかった偏見に気付かせてもらった。ときどきひどい自己嫌悪に陥るときもあるけど、気づかない人生よりずっといいと思っています。そういう意味であめに感謝しています。わが子ながらあっぱれといいますか。
同性愛者に限らず、いわれのない差別や偏見に苦しんでいる人たちにも目を向けるようになりました。以前と変わった自分です。
「私に何ができるか」ということは考え続けていますが、一言でいえば「サポート」。そして私が前向きに生きること。
少なくとも、頑張っているあめに恥じない自分でありたい。

これで回答になってますか?(宿題残したまま年を越すのが嫌だったのよね。)

思いつくまま、以上です(笑)』


・・・ということでですね

彼女や母の協力もあって質問には全てお答えできました。

うちの回答は一言になってしまって申し訳なかったのですが。

さて

母のコメントに対してですが

正直言ってうちはカミングアウトしたときに

母が思うほど考えてはなかったんですね。

まず話すことにしか集中できなかったのもあって。

なぜ話したのかも

ただ知っていて欲しいと思っただけで

それ以上は求めてなかったんじゃないかなって思います。

読んでいて第三者的に思ったのは

自分が受容するよりもやはり親が受容する方が難しいのかな

ってこと。

なんとなく

コメントに出てくる「苦しみ」とかそういった言葉は

うちのものじゃなくて母のもののような気がするから。

つまりうちはそう言われても

どこか他人事というか

実感がない自分がいます。

うちが悩んだりしんどくなる原因は

大抵社会的なものだから。

だから誰かとの関係性を考えたときには

そりゃ悩むこともあったけど。

例えば

親に話して悲しませたりはしないだろうか

とかね。

だから母が思うほどうちは・・・

って・・・うーん

なんだかコメントを読んだ今

正直なところすごく複雑な気持ち。

無理に言葉にして母に誤解を与えるのもやだしな。

ってかすでに自分の視点を押しつけてるみたいでやだな。

うちの姿がどう見えたのかも

人それぞれだからどれも間違いじゃないし

母は母の言葉で表現してくれればそれでいいんだ。

いつも相手の話を聴くときみたいに

「ふんふん。そうなんだー。」

って母の言葉をうちはただ受け取ればいいんだろうな。

ついつい母の言葉に自分が入り込んじゃってる。

うちらしくねー。

やだやだ。

やだやだやだやだ。

あー・・・

もう難しいことは抜きにして

ただ全力でこの言葉を届けよう。

「ありがと!」


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2010. 12. 25

『パワーバタフライ』 -lecca-

leccaの曲がしっくりくる理由がわかった。

自分が使う言葉と似てる。

自分との付き合い方が似てる。

自分を誰よりも信じてて

そんな自分をもう一人の自分が支えてる。

最近なんとなくアルバム『パワーバタフライ』を借りました。

パワーバタフライパワーバタフライ
(2010/07/28)
lecca、LUNA 他

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そのアルバムに収録されてる曲

「ちから」



「My measure」



「未来カメラ」



「君にとどけ」



「Copy Robot」



まー聴いてみればわかるよ。

うちの中にいるもう一人のうち。

でもたまには一緒に休んでいたいときもある。

自分を分割するのも

自分に奮い立たせる言葉をかけるのも

もう慣れたけど労力がいらないわけじゃない。

それに

自分を支えようとつくりだした自分に懸ける言葉なんてない。

一言もない。

言葉どころかしてあげられることなんて何一つない。

leccaの曲には安心して自分を流し込める。

その曲とともに流れてると心地が良くて楽になれる。

それはきっと

いつも支えようと

それこそ二人いても優しくできないもう一人の自分に

leccaの曲が声を懸けてくれるから。

気づけば

自然と二人の自分が互いに肩を寄せ合ってる

ってそんな場面がうちの中で起こってたりする。

これって本当奇跡みたいなことだと思う。

そうそう。

うちにまた夢ができました。

いつかleccaと語り合う!

いかにも夢っぽい夢でしょ(笑)

聞きたいんだ。

彼女の何がこうした曲を生み出してるのか。

歌うだけじゃなくて作詞も作曲も彼女がしてるからね。

今はまだ何も手立てがみつからないけど

leccaがいるところまでうちも飛んでったら

きっと出会えるはずなんだ。

leccaがいるところまでうちが広がってったら

きっと繋がれるはずなんだ。

ところで夢を叶えるコツって知ってる?

とにかく口にしろ!

自分の夢を多くの人に言っちゃえよ!

何かの拍子に実現していくはずだから!

うちは「leccaと語り合いたい!」

ふー・・・今まで以上に頑張れそうだ(笑)


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2010. 12. 24

あめサンタは実は代行サンタ

今日は朝に突発的に思いついて

サンタになろうと思いました。

ただし24名様限定。

学校で出会った友達に

ちょっとしたプレゼントを贈りました。

同じ授業を受けていた友達に。

たまたま出会った友達や先輩や後輩に。

そしてたまたまそこにいた友達の友達に。

誰のサンタになるのかはうちもわからなくて

それが楽しかった。

突然のプレゼントに

みんな喜んでくれて最高に楽しかった。

サンタが笑顔である理由が少しわかった気がする。

でも実は本当のサンタは・・・

うちの母なのでした(笑)

プレゼントの中身は母の手作りのシフォンケーキ。

シフォンケーキ

シフォンケーキ

あ・・・包装が簡素なのは見逃してね(笑)

いっぱい作ってもってきてくれたシフォンケーキは

ブログ展や講義を通じて知った

いつも支えて応援してくれている

多くのうちの大切な友達に対する

母からの感謝の気持ちと受け取ったから

一つ残らずプレゼントしました。

だからね

実はうちは代行サンタなのでした。

さっきそんな今日の一日の出来事と

みんなの「ありがとう」という言葉を伝えようと

母に電話しました。

そんな代行サンタの仕事振りに

母も喜んでくれました。

そしてそんな電話をしていたとき

父が家に帰ってきたらしく

うちを置いていく勢いで電話をかわられました。

突然かわられたので

特に何を言っていいかわからなかったけど

口数の多くない父が最後に

「めりぃくりすます。」

と言ってくれたその声に

いつもの父のはにかんだ笑顔が浮かんで

心があったかくなりました。

未だに父には

母の口からは伝えてもらっていますが

自分のことを自分の口からは話していません。

話すのが怖いんじゃなくて

なんかタイミングがなくて。

たぶんいまいち必要性を感じてないからなんだと思う。

父が受け入れてくれてるのを感じてたから

無理矢理機会を作って話すのもなんか不自然な感じ。

とはいってもやっぱり頭のどこかに引っかかってたみたいで

電話を通して感じた父の今までと変わらない優しさと

それと

今も変わらず愛してくれてるということを感じて

心から安心しました。

幸せでした。

クリスマスを家族で過ごす良さも少しわかった気がする。



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