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2011. 03. 31

もしうちだったら死を選ぶ

映画を観た。

同性愛関連の映画で貸して頂いたもの。

噂の二人 [DVD]噂の二人 [DVD]
(2005/09/30)
オードリー・ヘプバーン、シャーリー・マクレーン 他

商品詳細を見る


『噂の二人』

教師であるカレンとマーサが同性愛者であるという噂が広がり

それによる周りの反応やカレンやマーサの変化が描かれたもの。

なんとモノクロ。

1961年に製作されたものだった。

なんか見覚えのある顔。

カレンはオードリー・ヘプバーンだった。

この先は映画の内容そして結末までふれるので

映画を楽しみたいという方は各々対処してください。

カレンとマーサは同性愛であるという噂を否定。

必死に否定。

おぉ・・・心が痛い。

でも描かれてる社会が社会。

そうせざるを得ないほどの周囲の反応。

これが偏見ってやつか。

自身でも否定していたマーサが実は否定しきれないと告白。

あぁ・・・やっぱり。

告白したころにはカレンやマーサの生活や精神はズタズタ。

想いを知ったカレンからも肯定されないマーサ。

おそらく全てを一人で背負ってしまったマーサ。

自分でも自分を受け止めきれないままに。

全てを告白した直後に噂は作られたものだったと認められる。

でもそれで報われるものはなかった。

マーサは一人になり部屋で首を吊る。

その結末に驚きはなくむしろ自然に思えた。

うちがもしマーサだったら

マーサが決断するより早くに死を選んでた気がする。

うちが今生きているのは

そんな選択を強いられる状況じゃないから。

でもうちが生きている今でさえも

マーサのように選択しようとする人がいるなら

それこそ一刻も早く伝えたい。

「その必要はないんだよ」と。

今の時代に生きていて良かったとつくづく思う。

でも

未来の時代はもっと生きていて良かったと思えるはず。

そんな時代にして行きたい。

そんな時代にして、生きたい。


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2011. 03. 30

パズルの醍醐味が味わえない

わからないと思えるのは

きっとわかり始めてるから。

何もわかんなかったら

わかんないことなんてない。

わからないと思えるだけまだマシか。

それにしてもわからないことだらけ。

かき集めてきた無数のパズルのピースが

うちの頭の中で浮遊してる。

ピースが合うものがあるかも定かじゃないけど

カチッとはまるその瞬間を迎えたい。

そのためには

この手で何度も合わせてみるしかないか。

結果が出ないときほど

無気力になるときはない。

でも成功したとき

それが「努力」によるものと自覚できれば

もっと成長できるはず。

だから「運」で済まされないよう

うちは試行錯誤を試みる。

ワイナーの原因帰属と

ソーンダイクの学習理論。

教採の勉強を日常に持ち込んでみる。

こうすれば教育心理は面白い。

ちなみにこのブログのコアに潜んでいたのは

エリクソンの発達段階。

「同一性」対「同一性拡散」。

うちは克服できたのか?

とするならば次にあるのは

「親密性」対「孤独」らしいがね。

さり気なく学習ノートのように使ってみたブログ。

面白くないからこのへんでやめ(笑)



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2011. 03. 28

こだわりながらもこだわりすぎず

ジェンダーというものが疎遠になった。

自分というものを知りたくて性別を探り

同性愛というものを知りたくてジェンダーを学び

自分なりに納得できるまで考えて落ち着いた。

自分は女性であり同性愛であること

そこに揺らぎが生じることはほとんどなくなった。

というか

「ところでどんな生き方がしたいん?」

っていうことの方が自分にとって大事になった。

性別そのものに真っ向から向かうのではなく

そんな性別を備えた自分はどう生きていくのかっていう

対象物ではなく所有物みたいな感じになったんだと思う。

だから自分の性の重要性は変わらない。

とにかく学問的な性から疎遠になってたそんなとき

再びジェンダーというものが歩み寄る。

しかも今回はスポーツとともに。

久々に脱力感。

また光の見えないトンネルに入っちゃった感じ。

すべてがやんなっちゃうときって誰でもあるよね。

ひきこもりたくなっちゃうときって誰でもあるよね。



そんなとき(笑)

男女を分けて考えてみたところで

「・・・で?何がしたいん!?」

って表面だけの考え方に何度も行き着く自分にパニック。

性ってそんな単純に片づけられるもんじゃない。

わかってるからなおさらパニック。

もっと深いところに行きたいのに。

女性とスポーツというよりは

女性スポーツとして

一スポーツとして

「ところでどうしたら発展するん?」

ってそこを考えていきたいんだけど。



これ卒論の話。

この脱力感を抜け出すのに必要なのは

時間なんかじゃない。

自力で抜け出さないと。

ってわかってんだけど

暗闇で壁にぶつかる日々。

出口はどこだい?

そろそろ出たいぞ。

この感覚

あんま好きじゃないんだ。

知ってんだけど。

こういう時間も大切だってこと。


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2011. 03. 25

地元での恋バナ

昔のうちがそこにいた。

地元の友達数人に会ったときのこと。

久々に集まると盛り上がるのはやぱ恋愛の話。

もちろんうちもつっこむ話題。

相手がイケメンなのかが気になるのではなく

その存在によって友達がどう変化したのかが気になるため。

男性を見ても“かっこいい”がわからないうちは

そもそもそういう見方がないしね。

とにかく

つっこんでくるくせに自分は話さないのは

恋愛の話が嫌なわけじゃない。

異性愛と同性愛に壁を感じてるわけでもないし

相手が同性愛でなかろうと話をするし。

ただ

残念なことに話題がないから話さないだけ(笑)

大切な存在がいるなら

「恋人できたよ。」

なんて話し始めるんだろうけどさ。

でも

たぶんそれは上辺の理由。

本当は

地元の友達だったからなんだろう。

カミングアウトをしてるかしてないか

根元を探ればその違い。

避けてきた地元。

理由は省略。

そしたら

地元のうちと地元じゃないうちに

ギャップを感じた。

昔のうちと今のうち。

うちの原点が地元にはあった。

そこにいたのは

過去の自分になっていない

昔の自分。

話さない自分。

どこか本質を明かさないようにしてる自分。

地元の友達に

「今何してるの?」

と聞かれて

「大学生してる。」

と答えるうち。

本当はこう返したかった。

「うち新聞にのったんだぜぃ!」

ってね。

地元の友達は不思議とうちにあまりつっこんでこない。

でもよくある話は

恋人がいない友達が彼氏代理のポジションにうちを置く。

「これ私の彼氏」

なんて笑顔で言ってくれる。

もしかして・・・気づいてますか?(笑)

というか

友達にとってそれは不自然ではないんだろうな。

よく言われる。

カミングアウトした友達に

「ようやくえまがわかった気がする」と。

地元のうちはちょいと時代遅れ。

うちの最後尾がそこにいる。

大丈夫

ちゃんと迎えに行くから。

その一歩をこのブログから。

今まで「地元」としか表現してこなかった故郷。

それは愛知です。

その地でうちは愛を知りました。


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2011. 03. 23

髪のカラーは失っても

るんるーん。

こんなに機嫌がいいのは

髪を切ったからー。

カラーはそのままー。

はい右からー。

横

後ろへー。

右後

そして左ー。

左後

前はー・・・なーし(笑)

特に変わり映えないので。

毎回ブログにのせてたら

なんとなく恒例化してきたので

またのっけましたー。

でも残念なことに

もうそろそろ

カラーで遊ぶ時代が終わりそうです。

教育実習と教員採用試験

そしてもし教員になれたら

ずっと黒髪の時代なのでしょう。



それがわかってたから

大学生の内に遊んどこー!

って今まで好きにやってきたわけですがね。

でも正直寂しいな。

髪型の自由を失うのは。

髪のカラーは失われても

自分のカラーは失わずにいこう。

・・・とか言ってみるけど

まだ黒染めはしなーい(笑)


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2011. 03. 21

感情の扱い方

うちには

赦せないような人もいなければ

赦せないようなことをされたこともない。

今のところ。

だから赦し合うにはどうしたらいいのか

その方法をうちは知らない。

愛の反対は「無関心」とマザー・テレサは言った。

でも

愛の反対を「憎しみ」と答える人もいる。

その憎しみに縛られた頑なな心は

どうしたらほどくことができるんだろう。

感情には色々なものがあるけれど

自分の内で感じたいものと

外で感じたいものとがうちにはある。

例えば喜びは外。

誰かとともにすることでより感じられるから。

怒りは内。

誰かのせいにしたくないから。

まとめてしまえば

明るく温かい感情は外。

暗く冷たい感情は内。

でもどれもプラスにするのは自分次第。

うちの好きな感情の味わい方。

その一時に存分に味わって次に進む。

決してしがみつかない。

「もう満足。さ、そろそろ行こか」

ってな感じで。

その感情を捨ててきたわけじゃない。

染み込ませて自分のものにしただけ。

それはかけがえのないうちの財産。

そう思えるのも

なんとかプラスにしてきたからなんだろう。

うちにとって感情っていうのは

表現するものではあるけれど

ぶつけるものじゃない。

うちにもいつか

赦せないような出来事って起こるんだろうか。

そのときはどうか

その感情が自分に向けばいいと願う。

自分が相手なら

いつか赦せるときがくるはずだから。


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2011. 03. 17

温かさを感じた街頭募金でした

初めて街頭募金をした。

駅前で募金を呼び掛けた。

色んな人がいた。

道のど真ん中で車を止めてお金を渡してくれる人

自転車から降りてお金を入れてくれる人

信号待ちの間に募金の準備をしてくれる人

お子さんからお年寄りまで

年齢を問わず国籍を問わず

色んな人が募金箱に想いを込めた。

「ありがとう」と言われた。

「頑張ってね」と言われた。

うちは言われる側ではないのに・・・

とは思いつつもその気持ちが嬉しかった。

街頭募金は思いのほか神経を使う。

色んな人がいるから

その人ごとに距離を測った。

近寄った方がいいか

目を合わせた方がいいか

大きな声の方がいいか

意識を向けない方がいいか

要するに

自分の思いを伝えるか

相手の意志に任せるか

もしくは踏み出す一歩のきっかけをつくるか。

それを考えながら動いてた。

機械的にやったら楽。

セリフを決めて

立つ位置を決めて

同じ事を繰り返すこともできる。

でもそれじゃうちはおもしろくないのね。

ほんの一瞬の出会いだけど

色んな人と関われてうちは楽しかった。

機械的にしてたわけじゃないけど

どの人にも共通してすることもあったよ。

まずは笑顔。

それとお礼。

・・・当たり前か。

文にしたらあまりに当たり前のことに思えてきた(笑)

でも実際にやったらそうでもない。

目の前を歩いていく見知らぬ人に笑顔で声をかけること。

素通りされることを覚悟で。

広場で大きな声でお礼を言うこと。

ときには頭も下げて。

相手と場所が変わるだけで意外と非日常的な行動。

そんな関わりから感じたこと。

募金はただお金を集めるだけじゃない。

この募金箱には

お金だけじゃなく色んな人の想いがこもってる。

できれば

この想いも一緒に届けられたらいいのに。

この温かさも

この明るさも。

あまりスケールの大きな話はしない。

大きすぎて実感がないから。

だからうちの中でも色んな思いがあるけど

それはいいや。

実感がなくなっちゃうから。

人の温かさを感じた街頭募金でした。

それでいいよね。


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