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2011. 05. 27

誰にも負けないこと

誰にも負けないこと。

それは自分を信じること。

これだけは誰にも負けないとうちは思う。

じゃなきゃ何一つ行動できなかったはず。

いつも誰よりもうちは自分を信じてきた。

でも

それだけじゃもうダメな気がする。

次に進むには

自分を信じてもらうことが必要なんだ。

不安や怖さを乗り越えられるほど

この人となら大丈夫だって思ってくれるほど

信じてもらえるような人になりたい。

人を信じるのはうちにとってそう難しいことじゃない。

信じて欲しけりゃまず自分が相手を信じよう。

そう考えるうちが信じる相手の範囲は

今や会ってない人にまで広がってる。

でもじゃあ一体どれくらいの人に

うちは信じてもらえるんだろう。

うちの器は

うちの力は

うちの背中は

足りてるんだろうか。

一人の人を信じるより

一人の人に信じてもらうことの方が

きっとうんと難しいんだろうな。

「自分を信じろ」

って言い聞かせてきた。

でもこれからは

「うちを信じてくれ」

って願うことのが増えるんだろう。

自分だけじゃできないことがある。

実はうちがずっと避けてきたところ。

不安でしゃーないわ。

怖くてしゃーないわ。

今まで以上に自分も信じないと。

そんなもので

押し潰されるわけにゃーいかんのよ。


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2011. 05. 25

読者の中に中高生はいますかー?

うちのブログの読者に

高校生もしくは中学生っているのかな?

特に当事者

ビアン・ゲイ・バイ・トランス・その他にも色々の。

いわゆるセクシャルマイノリティーの。

ちょっとね

コンタクトとりたくて。

というか

ちょっと話を聞きたくて。

もしいたら



過去にコメントくれてた人も含めて

もし嫌じゃなければ

非公開コメントでいいので

コメントくれると嬉しいです。

よければメールアドレスを添えて。

非公開ならうちしか見れないようになってるので。

いるのかなー。

いないのかなー。

はっきりはわかんないけど

力を貸してくれぃ。


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2011. 05. 23

ブログ二周年

あれ・・・

気づけばブログを始めて二年。

二年しか経ってないんかーい

っていうのが本音。

うちはあと何年生きるんだろう。

無意味な疑問。

ブログ二周年とは少し話題をはずして

今日思ったこと。

誰かを守ろうとすると強くなれる。

でも

自分を守ろうとすると強がりになる。

屁理屈を言い出したり

理論武装をしてみたり

ひねくれてみたりと

うちの場合はいいことない。

自分を守ろうとすれば敵ができる。

どこか相手の姿勢に違和感があったときは

たぶん自分がそんな姿勢をしてるからなんだろう。

うちが守りたいものって何だろう。

さて

二年経ったところで

特別なことは何もないけれど

こういう日にすべきことは

日頃の感謝の気持ちを伝えることだろう。

だから記念日ってあるんじゃないかとそう思う。

ということで

ブログを読んでくれている全ての人に

ありがとう!!


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2011. 05. 22

変なおじさん

「おかしい」と言われても構わないと思った。

「普通じゃない」と言われても構わないと思った。

理解されなくても

考えが違っても

それでも構わないと思った。

2時間弱かけて会いに行って

一緒にお酒を飲んで話して

ふざけたりして笑いながら

こうやって過ごせるんだから

こんな関係が築けるんだから

それでいーじゃん。

同性愛であることが

お互いの関係の中で何の弊害でもないなら

そこを理解されようとされまいと

べつにいーじゃん。

なんなら同性愛であること以上に

うちがうちであることを認めてくれてるような

そんな気がした。

・・・って

新たな境地に立ったような気がする。

うちは同性愛であることを認めて欲しいわけじゃない。

うちがうちでいられるならそれでいい。

そんなふうに思う。

面と向かってうちに「おかしい」と口にする

そんなおもしろい人に感謝の気持ちでいっぱいだ。

「それはやっぱりおかしいんやって。

でも神様に認められてるからお前は生きてるんや。」

ってそんなこと言われたら

それ以上うちは何を相手に求めるのさ。

「ありがとう。」

っていう言葉しか思いつかないっての。

言いそびれたけど・・・(笑)

そんな変わり者の友を

「理解がない人」

と弾くような人がいようものならうちは

「あなたが理解してないよ」

とでも言い返そうか。

理解って何?

何を理解して欲しいの?

理解の先に何を求めてるの?



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2011. 05. 21

きっとさいごに叶う夢

うちが最期を迎えたとき

葬式に来た人同士が

「え?あの人誰!?何繋がり!?」

って思わずツッコミたくなるほど

本当に色んな人が集まってくれるような

そんな人になりたいと思う。

欲を言えば

「えまってこんなに色んな人と繋がってたんだな」

って気づいてくれたらなお良い。

これがきっとうちが最後に叶える夢。

今週は毎日毎日

誰かと出会ってきた。

性別も年齢も職業も住んでるところも色々。

もちろん考え方も色々。

それはやっぱりうちが求めてるからこその結果なんだと思う。

うちにはこんなイメージがある。

サルがサルの群れの中にいるのはおもしろくない。

サルとともにいるのが

ゾウだったりライオンだったりニワトリだったりネズミだったり

ナマケモノだったりアイアイだったりターシャだったりしたら

どんなにおもしろいだろうと。

あくまでイメージの話。

そんな雑多な中にうちはいたいと願う。

だから

肩書や形の中で関係を決めてしまうのは意味をなさなくて

傍から見たら「生意気」だとか「非常識」だとか思われようと

うちはその人との間に築いた関係を信じて付き合っていく。

歳上だからというだけで頭を下げ続けるつもりはないし

歳下だろうというだけで上から見下ろすつもりなんてもっとない。

そんなことにこだわるうちがいるなら

「くだらねーな」

と言ってしまうだろうに。

うちの周りには今

いったいどんな人がいるんだろう。

めっちゃごっちゃででこぼこだったら最高だな。

さて

今日も出会いにいってきやす。


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2011. 05. 19

感情のキャパ

感情のキャパってあるのかな。

喜怒哀楽にキャパシティは。

もしくは

感情にバランスってあるんだろうか。

四つの皿がある天秤のように。

実際は四つ以上あるだろうけども。

もしあるとして

キャパを超えたら人はどうなるんだろう。

不格好な天秤になったら人はどうなるんだろう。

うちの素朴な疑問。

どうなるかはよくわかんないけど

だから我慢することはないとか

人は人を求めたりするんだろうか。

結局

人は一人じゃ生きられない

ってそんなわかりきった答えにいきついた4:32。

金八先生

あなたの

「人という字は人と人が支え合ってできている」

という表現は実にわかりやすい。

でも

調べてたら知ってしまったよ。

人という字は

人が一人で立っている姿を描いているということを。

成り立ちはそうらしいよ。

それでも

解釈は自由でいいよね。

人をどう見るかは自由でいい。

見たいように見たらいいじゃない。

それで支えられるなら。

支え合うのも

自立するのも大事だと思うなら

自立しつつ支え合っていくのが

人と捉えてもまたいいじゃない。



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2011. 05. 17

気づけば踏まない

結果報告。

一時間の観察を終えて。

人の足は止めることができても

人の心に留めることは難しい。

でも今回

一番のうちの目的は

「気づけば踏まない」

といううちの仮説を視覚的に表現してみたかった。

ある意味作品制作的な。

ちょっと雑いけど

できあがったのがこちら。

気づけば踏まない

これで何が言いたいのかって

・・・正直なんかよくわかんなくなっちゃった。

もともとは

当事者が・・・あんま分けるの好きじゃないけど・・・

当事者が相手をもう少し信じられないかって

伝えればわかってもらえるんじゃないかって

そういう思いがうちは強くて

うちは試みたのかもしれない。

でもね

隠さずに言うけど

やっぱいるよね。

これだけ多くの人がいたら当たり前なんだけど。

故意に踏む人も。

ただそれは本当にごくごく一部で

ってかたった2人で

母数はさすがに数えてないから何%かは言えないんだけど。

何を思って踏んだのかも聞いてないから

違う意図があって踏んだのかもしれないから

数字的な話でうちは終わっておきたいけど。

たった2人。

でもその場面を見てたうちは

実は泣きそうだったさ。

悲しかった。

いつの間にか

うちはこのブロックに自分の心が宿ってたみたいで

直に自分の心が踏まれたようで痛かったよ。

人が通るたびにその人を信じた。

「踏みませんように・・・」って。

信じたからこそショックが大きかったのかな。

たった2人。

でも数じゃないんだよね。

当事者が出会った人

そのたった一人の反応が

どれだけ大きなものかをひしひしと感じた。

そしてそれに一人で耐える孤独。

うちにはわかるよ。

よし。

こっからは明るい話。

すんごい確率で

人の目がこのブロックに止まった。

そして

すんごい確率で

このブロックを踏まないように進路を変えた。

狙い通りでした。

ただね

すいません。

「なんかこわいんだけどー!」

と言わせてしまったみなさん(笑)

ですよねー(笑)

突然こんなん置いてあったら怖いよね。

しかも誰が置いたかわかんないもんね。

そして字の部分が可愛さ全くないもんね(笑)

発泡スチロールの性質上ガタガタになっちゃってさ。

・・・という言い訳。

一番嬉しかったのは

「あ、これえまさんのだ。」

とうちの知らない人が言った一言。

そうやって思い出してくれると大変嬉しいです。

そうそう。

今回ずっと上から観察してて気づいたのは

周囲にいる人によって行動が違うこと。

一人の場合は遠慮なくがっつり見る人が多い。

友達といる場合は声にして感想を述べる人が多い。

知らない人も周りに多くいる場合は見事に避けていく。

ちなみに・・・踏むのは友達しかいない数人の場合。

友達の反応が楽しいのかな。

友達と一緒にふざけるのが楽しいのかな。

だからつまり

その一緒にいる友達が観客にならないことが予防策?

周囲の人の存在もすごく大事なんだな

ってのが今回見てて気づいたこと。

・・・と考えてきたけど

これはあくまで「ブロック」についての話であって

直接同性愛に繋がるかは謎。

ちなみに

同性愛ブロック

無事帰ってくるのはやはり難しかったか。

おつかれさま

自転車で気づかず乗り上げちゃった人もいたしね。

このブロック

乗っちゃうと「サクッ」って音がする。

踏んだ感触があるのもまたポイント。

でも日常では

音もせずに

踏んだ事にも気づかずにいることって

いっぱいあるんだろうね。

もちろんうちも人事じゃない。

さて

最後に。

実はめちゃくちゃ不安だったことが二つ。

とっさに避けようとして怪我をする人が出ないか。

結果

誰もいなくて本当によかった。

それと

誰かに迷惑をかけるんじゃないか。

いたら本当にすみません。

もちろんそうしたことも覚悟で今回はやりました。

だからこそ不安で不安でしょうがなかった。

ただうちの性質上

同じことを二度やることはほとんどないので

どうか許してください。



そうそう。

「反ホモフォビアの日」ってことで

今回はものすごくメッセージ性を強くしたけど

やっぱこういうメッセージはうちにはしっくりこないかも。

一方的なメッセージっていうのかな。

一部にだけ注目したメッセージっていうのかな。

それよりも

みんなが楽しめるようなのがいい。

みんなが幸せな気持ちになれるようなのがいい。

これってうちにとってすごい大切だな。


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