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2010. 04. 22

身体そのものに性別はない

「ジェンダー論」の授業の続き。

「事実」の手掛かりになるようなことを記録したくて書きます。

ちなみに授業は本をもとに各章を一人がまとめて発表し

その後話し合っていくことで理解を深めていくといった進め方。

来週やる内容はまず性別そのものの根源的な意味のジェンダー。

つまり身体の性についてです。

そして早速うちが担当することになりました。

さて

身体は区別できると思っている人がいるなら伝えたい。

そんなに簡単なものではないというのが事実なんです。

身体そのものに性別なんてない。

そして誰一人として同じ身体もない。

それでもうちらは区別をする。

生まれてすぐに男か女かに振り分けられる。

じゃあ何で判断する?

性染色体がどっちか?

性腺がどっちか?

外性器がどっちか?

実はこの多層性があるのが事実。

そしてその組み合わせも多様です。

その一例として「インターセックス」があります。

「“XX”の遺伝子を持つ男性」や

「精巣があり体型が女性」など様々です。

それでも身体そのものに性別があると思えますか?

うちにはさっぱり。

結論からいえば今読んでる本によると

その区別をしているのはわたしたちの「まなざし」です。

認識の中で区別しているというわけです。

でもよく考えてみれば当たり前のことで

今ここにあるペンだって

物体があることは見てわかるけど

それがあるだけでは「ペン」っていえない。

うちらが「ペン」と認識してるからペンはペンなんです。

それでもなぜわたしたちは区別しているのか

それにももっともな根拠が色々とありますが

今回は「身体そのものに性別があるとはいえない」

という一部分だけに絞らせて頂きます。

きりがないので(笑)

ただ本を読んで特に共感したことを一つだけ。

「二元的性別を<認知>するという事実は、・・・(中略)・・・

より望ましい社会運営を模索していくことさえもが

不可能だという<理由>には、決してならない」

(加藤秀一『知らないと恥ずかしいジェンダー入門』朝日新聞社より)

つまり

二元的性別があることと

わたしたちの社会や生き方の中での性別のあり方は

次元の違う問題ということ。

だからもしこの二元的性別によって

傷つけたり傷つけられる人がいるのは

排除したり例外として扱われる人がいるのは

おかしいんです。

うちらが生きてるこの社会や

生きているこのわたしたち自身が

二元的性別に縛られるのは

なんだかむなしいね。

だってわたしたちがわたしたちを縛ってるようなもんなんだから。

だからうちは

自分を縛るつもりはないよ。


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