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2010. 05. 12

個人は差別されない

今日のジェンダー論の授業は「性差」についてでした。

ってか書いてなかったので今更ですが

ジェンダーの意味を再確認。

ジェンダーの意味には4つあると言われてます。

1.性別そのもの
2.自分の性別が何かという意識(性自認)
3.社会的につくられた男女差(性差)
4.社会的につくられた男女別の役割(性役割)

この4つの意味を明確にせずに

「ジェンダー」という言葉が使われていることが

うちの混乱を招いたというわけです。

ちなみにこの中の1を前回。

そして今回は3についてです。

まず押さえておかなければならないことは

性差と性役割は全く別のものです。

性差は記述的差異。

「男はたくましい」「女は優しい」など。

性役割は規範的差異。

「男は働くべき」「女は家事をするべき」など。

じゃあ性差ってなんだっていうと

男と女の違いです。

そしてこの「男」と「女」は集団の名前です。

つまり統計学的な概念なんですね。

この「集団」ということが今回の重要な言葉。

そしてこれ以外によく出てきたのが「差別」と「区別」という言葉。

「差別とは不当な区別のこと」を一つの定義とします。

この差別の定義に出てくる「区別」っていうのが

「集団」につながるわけです。

つまり差別は集団として区別されたものに存在する。

あ・・・じゃあ個人だったら?

って思って質問。

「個人は差別されないってことですよね?」

教授の回答。

「そう言ってることになりますね。」

そうか!繋がったよ!

うちがなんでこんなにものびのびしてんのか。

「あめはあめだから」と口を揃えて言ってくれる訳が。

うちは自分を個人として表現し

そしてみんなはうちを個人としてみてくれている。

だからそこには差別は存在しない。

「あめ」というものには統計もステレオタイプもない。

もしうちが同性愛者という集団の一部としてみられたら

そのときはきっと偏見や差別が存在するんじゃないかな。

思いついた。

差別や偏見を超える一つの方法。

集団という枠から飛び出す(笑)

そして

飛び出した個人という単体で枠の外から変えていく。

差別のない世界は

この世界でもなく

この社会でもなく

実は自分にあった。

そう思います。

みんなが何らかのいくつかの集団に属しながら

でも個人として相手を見ることができたら

きっと多くの問題は解決するんじゃないかと

うちはそう思うわけであります。

そしてそんな素敵な「目」を

うちは学校という場で

子どもたちに教えていきたいね。

とかいって

教えられることのが実は多かったりしてね。


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