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2010. 07. 08

「人権教育」の授業

今日は教育実習の事前指導の授業で

子どもの人権と教育の講義を受けました。

人権教育がほんの少しだけ身近に感じる昨今。

でも昔からの無関心っぷりはほとんど変わりません。

「人権教育」って聞いただけで

あー・・・またつまらない話が始まるのか

って思ってしまいます。

人権って

その権利が脅かされた人にしかなかなか感じられない。

だから1年前に人権の授業があったときにも

その大切さを肌で感じていない自分が

人権について授業をしようとしても

空虚なものになってしまうんじゃないか

って思ってそれ以上深く考えられませんでした。

だって心に響かないもん。

そんなふうに自分自身が感じているんだから。

本当の重みを感じていないんだから。

今はね

特に「表現の自由」に関しては

自分の言葉で述べられるように思います。

その大切さを。

とはいってもね

相変わらずほとんど無関心な自分は

ぼーっとしながら授業を受けてたんですが

セクシャルマイノリティーもしっかりと扱われまして

そのときはさすがに目をばっちり開けて色々と考えてました。

そして気づいたことは

例えどんなに言葉や知識を使ったとしても

やっぱり温度が感じられないと頭に入ってこないよね。

もちろん心にも届かないしね。

「温度」っていうのは

具体的には話を聞きながら自身の経験と重なったり

身近な人や事象が思い浮かんだり

そんなふうにリアルな自分の世界に結びつくことで感じられる

とうちは思っているんですが

じゃあ人権教育でどう温度を与えるかっていったら

当事者の声が一番なんじゃないですかね。

もちろん知識も大事だけど

まずは肌で感じないと。

そしてその上に

知識とかを積んでいった方がいいとうちは思いました。

うちの「学問」に対する考えと似てるところがあるね。

感覚的なところを大事にする点が。

「人権教育」っていう枠組みに含まれることで

失われる“可能性”もあれば

生まれる“可能性”もあります。

でもうちは

その枠組みに自ら入るつもりは今のところありません。

中身は確かに似てる。

たぶんうちのやりたい授業をやるにはドストライク。

でも外見が違いすぎる。



その言葉のイメージをも変えちゃうような授業をすればいい

って話なんだけどね。

それもおもしろいかもしんないけど

あくまで今のうちは

人権を叫ぶ気はさらさらありません。

もちろん結果的にどこかで人権に結びつくのは光栄ですが。

なんかね

そんな自分は好きじゃない。

偽善的な感じで

生意気で

癪に障る(笑)

これはあくまでうち自身に対する感情ね。

うちがこんなことをしたらうちはこう思うよっていう限定的な話。

今はね

そういう授業をしたりそういう話が出たときに

ふとうちの存在が思い浮かんでくるように仕掛けをね

あらゆる人に仕掛けをしたいです。

世界と世界をつなぐようなそんなきっかけになるような。

だからもし

今日の授業でセクシャルマイノリティーを扱っているときに

うちのことを思い浮かべてくれた人がいたなら

ちょっとにやけちゃいますねー。

それはやっぱりうちだからできることだと思うしね。

「世界と世界の架け橋」なんて素敵でしょ。

でもそんな橋を

うちは色んな人からもらってます。

これが表すことはつまり

誰でもその橋になり得るってこと。

行きたいなー色んな世界。


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