Moratoriumer

今日も波に揺られて海を漂う。

プロフィール

あめ

Author:あめ
えまです。

2016年4月からオーストラリアワーホリ中。

日々挑戦。
日々感謝。


YouHood.



リンクフリーです。
いやむしろぜひ。

 

リンク

 

最新記事

 

カテゴリ

 

最新コメント

 

コンタクトはこちら

名前:
メール:
件名:
本文:

 

2010. 08. 22

「自分らしいからだになる」

他大学の授業を受講させてくれた助教に紹介されて

日本性教育協会(JASE)の現代性教育研究月報

というのを読むようになりました。

性教育をはじめ

エイズや性同一性障害などを学び考える

自分のための良い教材となっています。

読んでいくなかでなるほどと心底納得したのが

二次性徴の説明の仕方の提案。

『「思春期になると、

女の子は女らしい、男の子は男らしいからだになる」

という説明ではなく、

「自分らしいからだになる」と言ったらどうだろう?』

(井端美奈子『現代性教育研究月報 2010年2月号』より)

というものです。

「自分らしいからだになる」

と考えたら

からだの見方

少し変わっていくんじゃないかな。

それに

体格や顔といった容姿

そういったものに対する理想や憧れからも

少し自由になれるんじゃないかな。

言葉一つで大きく変わる。

最近うちにもそんなことがありました。

「同性愛者」っていう言葉

それは自分が何者であるかっていう

自分の立場を表すときにときどき使っていたけど

「同性愛」と「者」はくっつくものなのか。

「同性愛」が性的指向を表す言葉なら

「同性愛者」って言葉は少しおかしなつくりなのかな。

うちが「者」ってつけていたのは

何者かはっきりさせたくてやってたんじゃないか

って

結局曖昧さの中にいられなかったのか

って

そう思いはじめてから

「同性愛者」って言葉を使うことをためらうようになりました。

自分がその表現でいいならいいんだけど

固定されてる感じがしないでもない。

枠を自分でつくっているようなそんな感じがある。

自分の変化を許さないような

あるいは

自分の可能性を狭めているような

そんな拘束力に似たものが潜んでるのかもしれない。

わかんないけど。

言葉は自由を与えるものがいい。

そんな言葉を使いたい。


関連記事

COMMENT▼

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

TRACKBACK▼

http://moratoriumer09.blog54.fc2.com/tb.php/368-ae0dfcf4

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 

 | ホーム | 

Flashカレンダー

 

月別アーカイブ

 

検索フォーム

 

ブロとも申請フォーム

 

RSSリンクの表示

 

QRコード

QRコード