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2010. 09. 19
幸せの感度
教育実習が始まって
うちがあきらかに成長を感じるもの。
それが幸せの感度。
言葉と気持ち
それとふれあい
つまり愛があれば
心から幸せだと感じます。
今までわかっていたつもりだった。
当たり前のことが幸せだってこと。
でもそれを感じる能力が未熟だった。
「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」
『モリー先生との火曜日』といううちが大好きな本の中の言葉。
その本を読んで以来
「死」というものを意識するようになった。
でも一方で「生」というものを意識することは難しかった。
だからさらに「死」というものを意識することで
間接的にそれを感じようとしてきた。
いつ死んでもいいように生きようって。
今はただ
純粋に生きてる幸せを感じられます。
「死」を通してではなくね。
うちのこの“性”は
うちに“生”を与えてくれます。
そしてこれはうちの勝手な想像だけど
おそらくうちにだけじゃなく
“生”を与えることができます。
だからうちは話すことをやめない。
話すときに声が震えても
話し終えたあとに手の震えが止まらなくても
話すことで関係が崩れてしまう恐れがあってもね。
我慢して心が死んでいくのを見守るつもりはない。
うちは生きるために性を語る。
うちがあきらかに成長を感じるもの。
それが幸せの感度。
言葉と気持ち
それとふれあい
つまり愛があれば
心から幸せだと感じます。
今までわかっていたつもりだった。
当たり前のことが幸せだってこと。
でもそれを感じる能力が未熟だった。
「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」
『モリー先生との火曜日』といううちが大好きな本の中の言葉。
その本を読んで以来
「死」というものを意識するようになった。
でも一方で「生」というものを意識することは難しかった。
だからさらに「死」というものを意識することで
間接的にそれを感じようとしてきた。
いつ死んでもいいように生きようって。
今はただ
純粋に生きてる幸せを感じられます。
「死」を通してではなくね。
うちのこの“性”は
うちに“生”を与えてくれます。
そしてこれはうちの勝手な想像だけど
おそらくうちにだけじゃなく
“生”を与えることができます。
だからうちは話すことをやめない。
話すときに声が震えても
話し終えたあとに手の震えが止まらなくても
話すことで関係が崩れてしまう恐れがあってもね。
我慢して心が死んでいくのを見守るつもりはない。
うちは生きるために性を語る。
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